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| 所在地 | 滋賀県長浜市公園町 |
| 交通機関 | JR北陸本線長浜駅下車 徒歩5分 |
| 別 名 | - |
| 略 歴 |
天正3(1575)年、近江小谷城を攻略した織田信長は、北近江3郡と小谷城を羽柴秀吉に与えた。 秀吉は山間の小谷城を嫌い、琵琶湖岸の今浜に新城を築き、この地を長浜と名付け、この長浜城を本拠とした。 天正10(1582)年、本能寺の変後に開かれた、織田家の相続と新たな領地配分を決定した清洲会議で、秀吉は山城宝寺城へ移り、替わって長浜城には越前丸岡城から柴田勝豊が入城した。 勝豊は柴田勝家の甥であったが、自分に対する勝家の冷遇に嫌気がさして、同年12月に羽柴方に寝返った。 勝豊は、間もなく死亡し、賤ヶ岳合戦の後、戦功を認められた山内一豊が2万石で入城、6年間に渡って在城した。 天正18(1590)年、小田原の陣の戦功で、一豊は遠江掛川城5万1千石に転封となった。 慶長11(1606)年、駿河駿府城から内藤信成が4万石で入城した。 内藤氏は2代信正が、元和元(1615)年に摂津高槻城へ転封となり、長浜城は廃城となった。 |
| 現 況 |
城址は豊公園として整備されており、歴史博物館として模擬天守が建築されている。 城址には、天守裏に土塁・石塁基部が、また、城下市街には外堀跡の水路が残されている。 大通寺には長浜城大手門と伝わる城門が、また知善院には裏門と伝わる山門が残されている。 |
![]() 長浜城址碑 |
![]() 模擬天守 |
![]() 本丸周囲遠望 |
![]() 郭跡土盛 |
![]() 模擬天守 |
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![]() 長浜城内堀跡碑 |
![]() 太閤井戸跡 |
![]() 長浜城残石 |
![]() 長浜城残石 |
![]() 本丸橋 |
![]() 長浜城外堀跡碑 |
![]() 長浜城外堀 |
![]() 長浜城外堀 |
![]() 伝長浜城大手門 (大通寺台所門) |
![]() 伝長浜城裏門 (知善院山門) |
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