帝國博物学協会
三河國
安祥城
 所在地 愛知県安城市安城町城堀
 交通機関 名鉄西尾線 南安城駅下車 徒歩15分
 別  名 森城・安城城・安城
 略  歴 永享12(1440)年、足利氏の一族和田親平が築いて安祥古城から移ったとされている。
文明3(1471)年、三河岩津城主の松平信光が安祥城を攻略、以後清康まで松平宗家の本城となった。
大永3(1523)年、清康は岡崎城を攻略し本拠を岡崎に移し、安祥城には一族の松平長家を置いた。
天文4(1535)年、尾張守山城(名古屋市守山区)まで陣を進めた清康が、家臣阿部弥七郎正豊に斬られて陣中に没すると、松平宗家の家督は十歳の幼君広忠が継いだが松平氏は急速に力を失い、今川家の庇護下に入った。
天文9(1540)年、尾張の織田信秀は三河に侵入、安祥城を攻撃したが、長家らの奮戦により撃退している。しかし、日増しに織田家の攻撃圧力が強くなり、天文9〜14年頃遂に落城、替わって織田信秀の庶子、信広が入城した。
更に、弱体化した松平氏から織田氏に走るものが多かった。幼少の竹千代が今川方に人質として送られる際に奪い、織田方へ送った田原城の戸田康光もその一人である。
天文18(1549)年、当主広忠が家臣に斬られて没すると、当主不在の岡崎城には駿河から今川氏の軍師太原雪斎が入り安祥城を攻略、信広は捕虜となり、竹千代と人質交換が行われた。
桶狭間の合戦で今川氏が敗北、松平氏が独立すると、永禄5(1562)年、織田信長との間に同盟が成立、役目を終えた安祥城は廃城となった。
 現  況 城址は、了雲院大乗寺と八幡社の境内とっている。大乗寺が本丸跡・八幡社が二之丸跡で、土塁・空掘跡などが残されている。
近年、それ以外の地が安祥城跡公園として整備され、歴史博物館が建てられている。
2009/1/11追記
城址の公園化が一層進み、主郭西側にあった空掘跡は失われ、市民憩いの小川となっている。
公園の入口には案内板が立てられ、しっかり城址の解説がされている。
主郭大乗寺境内西側は、まだまだ往時の雰囲気をよく残している。
三之丸
2009/1/11追加

風呂井

三之丸
二之丸

二之丸跡
八幡社境内
2009/1/11追加

二之丸北側切岸

二之丸東側切岸

二之丸南側切岸

善恵坊供養碑

八幡宮境内
(二之丸)

八幡宮境内
(二之丸)

西側土塁

八幡宮参道
本丸

安祥城址碑

本丸土塁と
了雲院山門

本丸跡

本丸土塁

本丸土塁と
空掘跡

本丸跡
2009/1/11追加

本丸北側切岸

本丸北側切岸

本丸西側切岸
と堀跡

本丸南西櫓台
下切岸

本丸南側

大乗寺山門

大乗寺境内

大乗寺本堂

大乗寺山門

櫓台土壇

土塁
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