帝國博物学協会
尾張國
浅井氏屋敷
 所在地 愛知県春日井市牛山町
 交通機関 名鉄小牧線 間内駅下車 徒歩1分
 別  名 -
 略  歴 天正元(1573)年、織田信長の攻撃によって小谷城が落城すると、城主浅井長政は自害した。
長政には正妻お市との間に万福丸・万寿丸の二男、茶々(淀君)・初(京極氏夫人)・江与(徳川秀忠夫人)の三女が世に知られている。
万福丸は落城後発見されて処刑された。万寿丸は近江国坂田郡の福田寺に隠れ、後に出家したとされている。
長政にはこの他に、側室お八重の方との間に七郎という子供がおり、小谷城落城時に逃れ、尾張春日井郡牛山村に土着した。
七郎の子孫はこの地で庄屋を務め、広大な屋敷地を誇ったが、9代新七は大正2(1913)年、神奈川県藤沢市に転居して屋敷は失われた。
浅井氏歴代
長政−七郎−七蔵−弥蔵−新四郎−常右門−新左エ門−新四郎−新左エ門−新七−十代嗣−武雄
 現  況 屋敷址は名鉄小牧線間内駅周辺であったようで、その跡にそれを示す石碑と由来碑、浅井長政銅像が立っている。
勿論遺構は何も残されていない。

浅井氏宅址碑

浅井長政銅像

由来説明碑

由来説明碑
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