帝國博物学協会
三河國
藤井城
 所在地 愛知県安城市藤井町北本郷
 交通機関 名鉄西尾線米津駅下車 徒歩30分
 別  名 -
 略  歴 永正年(1504-21)間、松平氏5代長親の五男利長が居城として築いたのが、藤井城の創始である。
利長は天文9(1540)年の尾張織田信秀の軍勢が安祥城を攻撃した際に出撃し、傷を負ってその傷が元で死亡した。
2代信一は、天文18(1549)年の11歳の時、今川氏に従って安祥城奪回戦に出陣し活躍した。
永禄6(1563)年、三河一向一揆が勃発すると、徳川家康に従いって本證寺に近い藤井城を堅守している。
更に永禄11(1568)年、織田信長が近江に出陣した際には、徳川軍の主将として、箕作城攻めに功をあげている。
天正18(1590)年、徳川家康が関東に移封になるとこれに従い、下総国相馬郡布川5000石に移封となり、藤井城は廃城となった。
なお、藤井松平氏は慶長5(1600)年の関ヶ原合戦で、常陸の佐竹氏の備えとして功があったとして、翌慶長6年土浦城に35,000石で封じられ、大名となった。
 現  況 藤井城址は藤井町公民館の向いに城址碑が建てられている。台地の東端にあたり、かつては土塁なども残されていたというが、現在明確な遺構は残されていない。
城址碑西南側100メートル付近の畑だけが、周囲より一際小高くなっているので、城址遺構の様にも見えるが、よくわからない。

藤井城址碑

秋葉社

案内板

切岸状の段差

切岸状の段差
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