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| 所在地 | 愛知県一宮市木曽川町北方字宮浦 |
| 交通機関 | JR東海道線 木曽川駅下車 徒歩15分 |
| 別 名 | 長谷川秀一邸 |
| 略 歴 |
長谷川秀一は、織田信長に早くから仕えて、小姓として寵愛を受けた。一説には織田信秀の子という説もある。 信長在世中は、小姓として仕えたが、家康を堺で接待中に本能寺の変が発生し、危急を逃れている。 信長の死後は、羽柴秀吉に仕えて、越前東郷城15万石と従五位下侍従・羽柴の姓を与えられたため、東郷羽柴侍従と呼ばれた。 その後、文禄元(1592)年、文禄の役では渡海し、晋州城攻撃に参加して功を挙げている。 文禄3(1594)年、病に倒れて死去した。嗣子なく長谷川家は断絶している。 |
| 現 況 |
略歴からもわかる通り、長谷川秀一がこの地に起居した期間は長くは無い。 館址は、本来は下渡公民館付近であったようで、当時は碑もそこに建てられていたようであるが、現在では北方中学校の校門脇に移設されている。 |
![]() 長谷川秀一 旧居跡 |
![]() 長谷川秀一 旧居跡碑 |
![]() 碑裏の説明 |
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