帝國博物学協会
尾張國
羽豆崎城
 所在地 愛知県知多郡南知多町師崎
 交通機関 名鉄内海線 内海駅下車 名鉄バス 師崎港下車 徒歩5分
 別  名 -
 略  歴 羽豆崎の地は、日本武尊の東征に水軍を率いて従った但馬連の拠点であった。
東征の帰途、水軍を統率した建稲種命が水難に遭い、流れ着いた衣服を祀ったのが、羽豆神社の始まりである。
南北朝の頃になると、羽豆崎には熱田大宮司、千秋昌能の拠点となり、南朝方に与している。
これは、東海道の陸路を足利氏に与する源氏一門が押えており(駿河今川氏・三河吉良氏など)、南朝方は北畠氏の拠点の東国との往来に、海路を使わざるを得なかった為である。
羽豆崎城は、その海路を押える重要な拠点であった。
南北朝の合一がなると、この地は一色氏に支配され、羽豆崎城には、一色氏の代官として佐治氏が、更にその陣代である千賀重親が入城した。
千賀氏はその後歴代の尾張の大名に仕えた。
関ヶ原の合戦では、師崎水軍が、伊勢の九鬼水軍を撃破しているが、豊臣氏が滅亡すると羽豆崎城は廃城となった。
千賀氏は、羽豆崎城の廃材で館を造営し、尾張藩の御船奉行として代々徳川家に仕えた。
 現  況 城跡に登るには道路側から登る搦手コースと、海側から神社参道に従って登る大手コースがある。(水軍城なので、大手は海側と考えた)
岬の突端ではなく、最高所の展望台がある場所が主郭で、そこに城址碑が立っている。
特に遺構は残されていないが、大手コースの途中には、腰郭とも考えられる平場が、一箇所確認できた。
岬の上は想像以上に広く、ここに何箇所かの堀切を入れれば、かなり堅固な要塞になることは、容易に想像できえる地形である。

搦手側登城口

搦手側登城路

陸側の郭

陸側の郭より
主郭を望む

主郭への登城路

主郭部

展望台附近

城址碑

大手側
羽豆神社参道

羽豆神社拝殿
(二郭か?)

篠島遠望

大手側腰郭
と思われる平場
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