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| 所在地 | 愛知県犬山市犬山字北古券 |
| 交通機関 | 名鉄犬山線 犬山遊園駅下車 徒歩20分 |
| 別 名 | 白帝城 |
| 略 歴 |
犬山城は天文6(1537)年に織田信長の叔父、織田与次郎信康が現在の地に築城し、木之下城より移った。
信康は天文16(1547)年、美濃稲葉山城攻めで戦死した。そのため、子織田信清が後を継ぎ城主となった。 信清は織田信長に追われ、元亀元(1570)年、池田恒興が城主となった。以後戦略要地という性格上目まぐるしく城主が交代した。 本能寺の変の後、尾張は清洲城の織田信雄の領国とされ、犬山城には家臣の中川定成が入城している。 天正12(1584)年、犬山城は美濃大垣城主池田恒興の攻撃を受け落城した。 こうして戦端が開かれた小牧・長久手の戦いで、秀吉は最初の本陣をこの城に置いている。 戦後、再び織田信雄配下に入り、武田清利が城主となり、天正15(1587)年からは土方雄良が入城した。 天正18(1590)年、小田原の陣後に転封を拒否したため信雄は改易となった。そのため、土方氏は退城を余儀なくされた。 替わって犬山城には、信雄の領地を引き継いで清洲城に入った三好秀次の父、長尾吉房が入城した。 文禄4(1595)年、秀次が失脚すると連座して改易となった。 替わって石川光吉が1万2千石で入城した。 関ヶ原の合戦後、西軍に属した光吉は改易となり、替わって家康の四男忠吉が尾張を領して清洲城に入城すると、その補佐役として小笠原吉次が入城した。 慶長12(1607)年、忠吉の死後、徳川義直が尾張名古屋城に入城すると、付家老となった平岩親吉が犬山城に入った。 慶長17年、親吉の死後しばらくは城主を置かなかったが、元和3(1617)年、尾張藩の付家老となった成瀬正成が入城、以後明治維新まで成瀬氏の居城となった。 明治5(1872)年、犬山城は廃城となり一旦県有となったが、その後再び成瀬氏の個人所有となっていた。 現在は成瀬氏から財団法人犬山城白帝文庫に所有権が移されている。 |
| 現 況 |
本丸天守は、美濃金山城が廃城となったためその資材を譲り受けて建築されたといわれていた(金山越え)が、現在では解体修理の結果この説は否定されている。 主郭部は、復興された黒門・隅櫓が建てられており、虎口などの野面積みの石垣がよく残されている。 周囲の曲輪跡にも土塁・空掘が見られる。 |
| 遠望 |
![]() 犬山城遠望 |
| 2009/8/9追加 |
![]() 北東側から遠望 |
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東三之丸と水之手門跡 |
![]() 水之手門跡 と鵜沼城遠望 |
| 2009/8/9追加 |
![]() 東側水濠 |
![]() 七曲口下櫓台 石垣 |
![]() 七曲口 |
![]() 水之手門石垣 |
![]() 北東角石垣 |
![]() 東三之丸現状 (水路) |
![]() 東三之丸現状 (水路) |
| 三之丸 |
![]() 三之丸跡 |
| 2009/8/9追加 |
![]() 大手門跡 |
![]() 三之丸西南角 |
![]() 三之丸南西側 |
![]() 三之丸南側 |
![]() 藩校敬道館跡 |
| 松之丸(二之丸) |
![]() 中御門跡 |
![]() 矢来門跡 |
![]() 矢来門 松之丸門跡 |
| 2009/8/9追加 |
![]() 中御門前空掘 |
![]() 中御門前空掘 |
![]() 中御門跡 |
![]() 松之丸西側 石垣 |
![]() 松之丸跡 |
![]() 松之丸跡 |
![]() 松之丸跡 |
![]() 松之丸跡 |
![]() 矢来門跡 |
![]() 松之丸門跡 |
| 樅之丸 |
| 2009/8/9追加 |
![]() 中御門跡 |
![]() 松之丸西側 石垣 |
![]() 松之丸跡 |
![]() 松之丸跡 |
![]() 松之丸跡 |
| 桐之丸 |
![]() 黒門跡 |
| 2009/8/9追加 |
![]() 黒門脇櫓台 石垣 |
![]() 黒門跡 |
![]() 黒門跡 |
![]() 黒門虎口 |
![]() 桐之丸 |
![]() 桐之丸 |
![]() 主郭部 |
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