帝國博物学協会
三河國
石田城
 所在地 愛知県新城市石田字万福
 交通機関 JR飯田線 野田城駅下車 徒歩15分
 別  名 半衛門屋敷・半右衛門様の下屋敷
 略  歴 天正18(1590)年、三河を治めていた徳川家康が、江戸城へ移封となると、三河吉田城に、池田輝政が15万石の大名として入城した。
新城城には、輝政の家臣片桐半右衛門が7千石で入城する事となった。
半衛門は、翌年から新城城の西南の石田村に新城の築城を開始、天正20(1592)年にはこの城に入城した。。
慶長2(1597)年、片桐半衛門はこの地で没し、その後を主家である池田恒興の四男で半衛門の養子となっていた長政が継いで、石田城の新城主となった
慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いで池田氏は東軍の徳川家康に与して戦功を挙げ、播磨姫路城に加増・転封となったため、長政もこれに従い、播磨赤穂城に移封となり、新城の地は天領となった。
長政の移転後、石田城は廃城となった。
 現  況 新城城址は豊川と野田川に挟まれた場所に築かれており、ニ方の土塁や堀が良く残されている。
城址単郭方形で、屋敷城として縄張られているが、郭内には茶畑が広がっている。
土橋内側には虎口も良好に残されており、また、ニ方の土塁もよく残っている。

新城城跡遠望

新城城跡遠望

新城城北東側

北側堀

土橋

北側堀

虎口土塁

土橋と虎口

虎口

虎口(内側)

新城城跡

主郭北側

主郭北西側

主郭東側土塁

主郭東側土塁

東南側土塁

東土塁と堀

東南側堀

東土塁上

東土塁上

北側土塁上

新城城跡標柱
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