帝國博物学協会
三河國
岩津城
 所在地 愛知県岡崎市岩津町東山
 交通機関 名鉄本線 東岡崎駅下車 名鉄バス 岩津天神口下車 徒歩10分
 別  名 -
 略  歴 岩津城の築城年代・築城者等詳細は定かではないが、この地方の土豪であった中根大膳が居城していた。
応永28(1421)年、松平郷の松平信光がこの中根氏を滅ぼして、岩津城を奪って居城とした。
松平氏はこの岩津城から西三河に勢力を伸張していった。
応永2(1467)年には、寺辺、伊保、八草、挙母、上野等松平氏に従わなかった西三河の土豪と合戦に至り(井田野合戦)、岩津城も攻撃を受けたがこれを撃退している。
永正3(1506)年、駿遠の太守今川氏の軍勢が、伊勢新九郎長氏に率いられて三河に侵攻、岩津城は攻略されて落城した。
こうして岩津松平氏は没落し、次男親忠の系統であった安祥城の安祥松平氏が勢力を伸ばした。
この後、岩津城は一旦廃されていたようであるが、松平清康の頃には城代が置かれていたようである。
清康が尾張守山城で家臣に殺される(守山崩れ)と、三木城の松平信孝が勢力を伸ばして岩津城を奪ったとされる。
その後、信孝が失脚すると岩津城は廃城となった。
小牧長久手の合戦の際、家康が岩津城を後方の備えとして修築したと言われており、現在残されている遺構はその際に修築されたものである。
 現  況 岩津天満宮への手前、高速道路の陸橋手前左側が城址であり、ここに城址案内板も立てられている。
城址案内板の横に坂があり、登って行けるが「私有地立入禁止」の看板が立てられている。
岩津城の大手道は西側山麓にあり、こちらから登ると空掘が目に入ってくる。
城址は大きく主郭と二郭の二つの郭から構成されており、その間の土橋が非常に良好に残されている。
また、主郭下の帯郭の様子も、非常に良好に残されている。

岩津城案内板

案内板からの
登り口

大手口

大手道

大手道

空掘

馬出土橋

二郭南西空掘

二郭南西空掘

ニ郭

ニ郭虎口

ニ郭

主郭土橋

主郭・二郭間
東側の空掘

主郭・二郭間
西側の空掘

土橋と主郭
虎口

主郭西側

主郭虎口と
土橋

主郭土塁

岩津城址碑

主郭内

主郭内

主郭内

北帯郭

主郭内

北帯郭

北帯郭と主郭
切岸

東帯郭と主郭
切岸

東帯郭と主郭
切岸

東帯郭

東帯郭と主郭
切岸

東帯郭と主郭
切岸

東帯郭と主郭
切岸

馬出

馬出
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