帝國博物学協会
尾張國
清洲城
 所在地 愛知県清須市大字朝日字朝日城屋敷1−1
 交通機関 名鉄名古屋本線、新清洲駅下車 徒歩15分
 別  名 -
 略  歴 清洲城は、応永12(1405)年頃に尾張守護斯波義重が築城した。
文明8(1476)年、下津城から清洲城に守護所が移って尾張の中心地となり繁栄し、その後、織田大和守が守護代となって居城した。
弘治5(1555)年、織田信長が守護代織田信友を攻めて清洲城を奪い那古野城から移って城を大改修した。
信長はここから桶狭間合戦にも出陣している。
徳川家康と同盟を結び、東方に軍事的脅威がなくなった信長は、永禄6(1563)年に小牧山城を築いて本拠を移し、本格的に美濃攻略に乗り出した。
天正10(1582)年、本能寺の変後に尾張を領国とした織田信雄は、清洲城を本城と定め、大天守・小天守を築き三重の堀をめぐらすなど、清洲城を整備した。
天正18(1590)年、織田信雄が改易となると、尾張は三好秀次の領国になり、更に秀次が失脚した文禄4(1595)年には子飼の武将、福島正則が城主となった。
慶長5(1600)年、関ヶ原合戦後、その戦功により福島正則が安芸広島城に移ると、徳川家康は豊臣家に対する押さえとして四男忠吉を清洲城に封じた。
忠吉の死後、9男義直が城主となったが、慶長15(1610)年に名古屋城築城にともなう「清洲越し」が行われて廃城となった。
 現  況 城址は清州城址公園として整備されているが、本丸を東海道線・新幹線が貫いている。
また、旧城址の五条川対岸に模擬天守が建てられ、資料館として公開されている。

清州城址碑

天守台跡

天守台跡

本丸跡信長像

本丸跡

模擬天守群

模擬天守

伝清洲城裏門
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