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| 所在地 | 愛知県小牧市堀の内1 |
| 交通機関 | 名鉄小牧線 小牧駅下車 徒歩40分 |
| 別 名 | - |
| 略 歴 |
桶狭間の戦いで、東の強敵今川義元を葬り、松平元康と同盟関係を結んだ織田信長は、西方斎藤氏の美濃攻めに本格的に乗り出すこととなった。
そのため、斎藤氏の拠る稲葉山城を望む小牧山の地に永禄6(1563)年、新城を築いて本拠を移した。これが小牧山城である。 永禄10(1567)年、斎藤龍興の稲葉山城を攻略すると、稲葉山城を岐阜城とあらため本拠を移し、小牧山城は廃城となった。 信長の死後、天下統一を目指す羽柴秀吉は、それを快く思わない織田信雄・徳川家康連合軍と対立、濃尾平野の地で激突した。 徳川家康は、逸早く小牧山城を占拠し、廃墟であった同城を強化し、犬山城に本陣を置く羽柴秀吉と対峙した。 この対戦の後、小牧山城址は尾張藩によって入山禁止となった。 |
| 現 況 |
山頂本丸には、虎口跡の石垣と削平地が城址遺構として残されている。また、山麓屋敷跡伝承地周囲には、土塁及び空掘がよく残っている。 山頂に昭和43(1968)年、桂離宮を模した模擬天守が建てられ、小牧市歴史資料館として一般に公開されている。 |
![]() 小牧山城址碑 |
![]() 大手道 |
![]() 曲輪跡 |
![]() 本丸桝形石垣 |
![]() 本丸跡 |
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![]() 本丸土塁 |
![]() 模擬天守 |
![]() 井戸跡 |
![]() 屋敷伝承地 虎口と空掘 |
![]() 屋敷伝承地 |
![]() 屋敷伝承地 |
![]() 搦手門跡 |
![]() 搦手口土塁 |
![]() 搦手虎口 |
![]() 曲輪跡 |
![]() 観音洞案内板 |
![]() 観音洞 |
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