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| 所在地 | 愛知県江南市小折町八反田 |
| 交通機関 | 名鉄江南線 布袋駅下車 徒歩15分 |
| 別 名 | 生駒屋敷 |
| 略 歴 |
生駒氏は、藤原忠仁の子孫で、生駒山麓谷口村を本貫としていたが、応仁・文明の頃、尾張小折に移住した。 生駒氏は、この地で灰と油の商いで財を成し、勢力を構えるようになった。 生駒氏が尾北の豪族として、歴史的に大きな位置を占めたのは、3代家宗の娘、吉乃が織田信長の側室となり、嫡男信忠を生んだ時である。 この頃、小折城は築城されたと思われる。 「武功夜話」によると、弘治元(1555)年、この小折城二之丸の一隅で、木下籐吉郎が蜂須賀小六(正勝)の輩下になり、後吉乃のとりなしで信長に仕えるようになっていった。 信長は、天文・弘治の頃から、小折城を訪ねるようになり、蜂須賀小六や前野将右衛門等、川並衆と呼ばれた野武士集団駆使して情報を集め、桶狭間の戦いや美濃攻めなどの作戦を、ここで練ったといわれている。 その後、小牧・長久手の合戦では、信雄がこの城に堀を巡らし櫓を建て、防御を固めたと言われている。 生駒氏の一族親正は、この城で信長に拾われた羽柴秀吉によって厚遇され、後に讃岐国主として、高松城に入城している。 また、生駒氏本家は、後もこの地に住み続け、6代利勝以後は、尾張徳川家に仕えて、4000石を領した。 |
| 現 況 |
城址は、市街地化され、明確な遺構はほとんど残されていない。 城址碑は、布袋東保育園の片隅に立てられており、その前面に唯一の遺構とも思われる堀跡の田と、郭跡が残されているのみである。 市内布袋町中の広間医院には、小折城の中門が、唯一の建築物遺構として、移築・現存している。 広間氏は、生駒家の典医で、廃藩置県の折にこの中門を貰い受けて、移築したものである。 |
![]() 城址碑遠望 |
![]() 生駒氏の邸址碑 |
![]() 郭跡と堀跡 |
![]() 郭越しに 碑を望む |
![]() 郭跡 |
![]() 説明板 |
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| 所在地 | 愛知県江南市布袋町中200 |
| 交通機関 | 名鉄江南線 布袋駅下車 徒歩10分 |
![]() 小折城中門 |
![]() 小折城中門 |
![]() 小折城中門 |
![]() 小折城中門 |
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