帝國博物学協会
尾張國
黒田城
 所在地 愛知県一宮市木曽川町黒田字古城
 交通機関 JR東海道線 木曽川駅下車 徒歩5分
 別  名 -
 略  歴 明応年間(1490年代)、相模から尾張に入った五藤源太左衛門光正が、黒田に館を築いたのが黒田城の始まりである。
その後、岩倉城織田伊勢守信安の支配するところとなり、守将として山内但馬守盛豊が入城したが、弘治3(1557)年7月、夜討によって盛豊・長男十郎共に討たれた。
そのため、犬山城主織田十郎左衛門信清の弟勘解由左衛門尉廣良が城主となるが、永禄5(1562)年、美濃軽海で戦死したため、犬山織田家の家老、和田新助が城主となった。
犬山織田信清と信長の間が不和になると、新助は信長に降り、信長配下の一将となった。
天正2(1574)年、長島一向一揆攻めで新助は戦死、弟の八郎が城主となった。
天正10(1582)年、織田信雄の家臣沢井左衛門尉雄重が城主となった。
天正18(1590)年、一柳監物直盛が城主となり2万石を領し、黒田城に入城した。
慶長5(1600)年、関ヶ原の合戦で功があった直盛は伊勢神戸城に転封、尾張には松平忠吉が封ぜられ、黒田城には家臣冨永丹波守忠兼が入城、慶長14年まで城は存続していたようである。
なお、この城で後の土佐藩主山内一豊が生まれている。
 現  況 城跡は黒田小学校付近で、一角に城址碑が建てられている。
遺構は残っていない。

黒田城址碑

山内一豊像

城址付近

城址付近
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