帝國博物学協会
三河國
寺部城
 所在地 愛知県豊田市寺部町
 交通機関 愛知環状鉄道 豊田市駅下車
名鉄三河線 豊田市駅下車 名鉄バス 寺部中町下車 徒歩10分
 別  名 三河寺部城
 略  歴 寺部城は文明年(1469-87)間、室町幕府評定衆であった中条氏の被官であった鈴木下野守重時によって築城されたと伝えられている。
鈴木氏は高橋荘の東方を勢力に治めて松平氏に対抗した。
明応2(1493)年、鈴木氏は中条・三宅・那須・阿部の諸氏と連合して松平親忠を攻めて井田野で合戦に及んだ(井田野合戦)が、大敗している。
天文2(1533)年、日向守重教が岩津城外にて松平清康と戦うなど、松平氏との攻防を繰り返した。
弘治4(1558)年2月、城主重辰は今川義元から離反して織田氏に属したため、元号も改まった永禄元(1558)年、松平元信が岡崎衆を率いて寺部城を攻略、援軍に駆けつけた水野信元の軍勢を撃退した。これが元信の初陣となった。
永禄9(1566)年、尾張の織田氏の重臣佐久間信盛が寺部城を攻撃して落城、城主重教は寺部城から矢並城に逃れたが、勢力を支えきれずに駿河今川氏を頼って落ち延びた。
これにより織田・徳川の間にあった今川氏の勢力は一掃された。
寺部城はその後本多氏の支配下に置かれたが、天正18(1590)年に、家康が関東に移されると、岡崎城に入った田中吉政の属城となった。
慶長15(1610)年、尾張徳川家家老の渡辺高綱が14000石で寺部城に入城、寺部城を廃して陣屋とし、代々渡辺氏が居館して明治維新を迎えた。
 現  況 寺部城址は矢作川に臨む台地上に築かれており、現在主郭は寺部城跡公園となっている。
東側土塁上に城址碑が立てられており、郭内には渡辺氏の陣屋時代の礎石などが残されている。
城址案内板には西側に残されている土塁が、鈴木氏時代のものであると記されている。
往時はこの曲輪を中心に、現在守綱神社となっている場所も含めた複数の曲輪が存在していたと考えられている。
なお、挙母城(七州城)址に書院・又日亭が移築現存している。
守綱神社

守綱神社

拝殿前の切岸

拝殿脇の切岸

竹薮内の空掘

竹薮内の土塁

土塁と空掘

西側
主郭

守綱神社(手前)
と主郭(奥)

主郭西北側

主郭南東側

寺部城址碑

西側土塁

寺部城址案内板

西側土塁

西側空堀

西側土塁

西側切岸

東北側

北側

主郭内

主郭内

東側土塁

東側土塁

井戸

主郭南側

西側土塁

蔵跡

書院跡

蔵跡

書院跡

母屋跡

主郭

西側土塁

西側土塁

主郭南側

主郭南側

又日亭
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