帝國博物学協会
三河國
明大寺城
 所在地 愛知県岡崎市上明大寺町2 他
 交通機関 名鉄名古屋本線 東岡崎駅下車 徒歩10分
 別  名 東城・平岩城・平山城・旧岡崎城・明大寺村古城
 略  歴 永享年(1429〜1441)間、三河守護仁木氏の守護代、西郷弾正左衛門稠頼が築いたとされている。
康正元(1455)年、稠頼は岩津城の松平氏の圧力に対するため、岡崎城を新たに築いて本城を移した。
その後、西郷氏は明大寺城を隠居城として、稠頼の父の盛頼・稠頼の子頼嗣が居城した。
岩津城の松平信光は、西郷頼嗣を岡崎城に攻め、頼嗣の養子として、自身の子光重と頼嗣の娘を結婚させて、西郷氏の名跡を嗣がせることに成功した。
こうして岡崎松平氏が成立した。
大永4(1524)年、安祥城の松平清康は、岡崎松平3代信貞を山中城に攻め山中城を奪取、明大寺城の信貞に圧力をかけた。
清康は岩津松平信光と同様に、松平信貞の娘を嫁として迎え、明大寺城の乗っ取りに成功した。これによって信貞は大草城に退き、大草松平氏が成立した。
明大寺城に入った清康は、対岸龍頭山の古砦を改修し、新たに岡崎城を築いて本城を移した。 これによって明大寺城は廃城となった。
 現  況 明大寺城址は六所神社裏山にあたる。
現地には特に明大寺城について記したものはないが、六所神社裏山に数段の平場の存在が確認できる。
舌状台地の最丁部は岡崎コンファレンスセンター建設のため、遺構は失われている。多分ロッジのある辺りが主郭であったと考えられる。
台地の麓にある六所神社は、寛永11(1634)年、3代将軍家光よって造営されたもので、本殿・幣殿・拝殿・神供所は昭和10年に国指定の重要文化財となっている。

城址遠望

西側の池

城址への道

城址への道と
六所神社土塀

城址への道

城址への道

神社裏の平場

神社裏の平場

神社裏の平場

切岸

尾根上の平場
(曲輪跡)

尾根上の平場
(曲輪跡)

多分主郭の切岸

主郭北側の
腰曲輪

主郭北側の
腰曲輪

主郭北側の
腰曲輪

主郭付近

六所神社鳥居

六所神社石垣

六所神社桜門

六所神社拝殿
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