帝國博物学協会
尾張國
名塚砦
 所在地 愛知県名古屋市西区名塚町4
 交通機関 名古屋市営地下鉄 鶴舞線 庄内通駅下車 徒歩5分
 別  名 -
 略  歴 弘治2(1556)年、織田信秀の死去と同時に始まった、織田家の家督争いでは、嫡子信長派と次子信行派に別れた。
信行派には、筆頭家老で那古野城主林秀貞、柴田勝家らが加わり、勢力はむしろ信長派を上回る勢いであった。
信長は、那古野城への押さえとして、佐久間大学助重盛に名塚砦を築かせ守らせた。
8月24日、信行方の林美作・柴田勝家は、折からの大雨で庄内川が増水し、名塚砦が孤立したところを見計らって攻撃を開始するが、名塚砦救援のために出陣した信長軍と名塚砦東方の稲生原で激突、大将林美作が討たれ信長方の勝利となった。
 現  況 砦址は、白山神社となっており遺構はおろか形跡すら感じることができない。
名古屋市教育委員会が立てた案内板が、この地が砦であった事を伝えているにすぎない。

白山神社

砦址案内板

拝殿
稲生原古戦場 名塚砦址の白山神社南方200メートル程の水道道の脇に、稲生原古戦場がある。
名古屋市教育委員会が立てた案内板、戦死者を供養した庚申塚と五輪塔が、古戦場跡を伝えている。

稲生原古戦場

五輪塔

庚申塚
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