|
|
|
|
|
|
|
|||
|
|
| 所在地 | 愛知県豊橋市仁連木町 |
| 交通機関 | JR東海道新幹線 豊橋駅下車 豊鉄鉄道市内線 東田電停下車 徒歩5分 |
| 別 名 | ニ連木城 |
| 略 歴 |
明応2(1493)年、田原城の戸田宗光によって仁連木城は創築された。 同年、一色城で主君一色時家を討って東三河で台頭していた波多野時政(全慶)に対して挙兵した牧野成時(古白)が、灰野原でこれを破り、新たに今橋城を築城し、仁連木城に対抗した。 これ以降、仁連木城戸田氏による今橋城を攻略作戦が続く事となる。 天文4(1535)年、尾張守山城で清康が家臣に殺害されると、松平氏の勢力が衰えて今川氏が東三河に進出した。 今川義元は東三河に太原崇孚雪斎を派遣し、天文16(1547)年、戸田氏の本宗家である田原城が攻略され、今川氏に従っていた仁連木戸田氏が戸田氏の本家となった。 その後、吉田城には城代小原資良が入城していたが、永禄3(1560)年、桶狭間の戦いで今川義元が討死すると、東三河に動揺が走った。 その頃西三河では、松平元康が岡崎城に帰城して今川氏から独立、勢力の拡大を図っていた。 永禄7(1564)年、仁連木城主戸田重貞は吉田城に人質となっていた母を奪還して、今川氏を離反して徳川方に寝返った。 翌永禄8(1565)年、吉田城は徳川家康によって攻略され、城主として酒井忠次が入城した。 元亀2(1571)年、信濃から南下した武田軍により、仁連木城は落城し、城兵は吉田城に退いた。 信玄が甲斐に引揚げると、家康は仁連木城を奪還して、武田の勢力を駆逐している。 天正18(1590)年、徳川家康が関東に移封となり、替って吉田城に池田輝政が入城すると、近すぎる仁連木城は不要となり廃城となった。 |
| 現 況 |
仁連木城址は大口公園となり、主郭や馬出しの土塁や堀などの遺構が良く残されている。 城址碑は土塁上に立てられており、公園入り口には城址標柱や縄張り図などが掲げられており、非常にわかりやすい。 ニ郭は道路によって分断されているが、東側の郭外との段差はよくわかる。 |
| ニ郭 |
![]() ニ郭付近 |
![]() ニ郭付近 |
![]() ニ郭東側 (段差有り) |
![]() ニ郭北側 |
| 馬出し |
![]() 馬出し北東角 |
![]() 馬出し東北角 |
![]() 馬出東北空掘 |
![]() 東北側空堀 と土塁 |
![]() 東側空堀と 土塁 |
|
![]() 東側空堀と 土塁 |
![]() 東側空堀と 土塁 |
![]() 東南側空掘と 土塁 |
![]() 南東側空掘と 土塁 |
![]() 南側空掘と土塁 |
|
![]() 馬出内 |
![]() 馬出内 |
![]() 馬出北側 |
![]() 馬出東北側 |
![]() 北側土塁跡 |
|
![]() 東側虎口 |
![]() 東側土塁 |
![]() 東南側土塁 |
![]() 南東側土塁 |
![]() 南東側土塁 |
![]() 主郭 |
|
|