帝國博物学協会

三河國
西尾城
 所在地 愛知県西尾市錦城町
 交通機関 名鉄西尾線西尾駅下車 徒歩15分
 別  名 鶴城・鶴ヶ城・錦丘城・西条城
 略  歴 西尾城の築城には諸説あり、
  • 鎌倉時代、足利義氏が承久3(1221)年の承久の乱の武功によって三河守に任じられて赴任、西条城を築城したとされる「鶴城記」などによる説。
  • 源範頼がこの地に城を築き、後に足利義氏が在城したとする「三河刪補松」による説。
  • 花山院忠邦が八ツ面山の麓にあった古城を再建して築いたとする「西尾草創伝」説
    などが知られているが、明確に断定できるものはない。
    明確なのは、足利義氏がこの城に入城し、長男長氏を封じて吉良氏を名乗らせた事である。
    吉良氏は以後14代に渡って西条城を居城とした。この系統を西条吉良氏、三男の義継を東条城に封じ東条吉良氏と称した。
    永禄3(1560)年、今川義元は西尾城に牧野成定を封じて、三河支配の強化と尾張織田氏への攻撃準備を行った。
    永禄4(1561)年、桶狭間合戦で今川義元が討たれると、岡崎城に帰城した徳川家康は、三河の統一と今川支配からの脱却を目指して、家臣酒井正親に吉良氏14代吉良義諦の拠る西尾城を攻撃させて奪取し正親を城主とした。
    天正18(1590)年、家康の江戸城移封に伴い、酒井氏2代重忠は、武蔵川越城に転出し、岡崎城の田中吉政の持城となった。
    慶長6(1601)年、関ヶ原合戦の功で、本多康俊が2万石で入城した。康俊は大坂夏の陣で活躍し、元和3(1617)年に近江膳所城に転封となり、替わって松平(大給)成重が2万石で入城した。
    入替わりで膳所城から本多俊次が入城した。
    寛永13(1636)年、俊次は1万5000石に加増して5万石で伊勢亀山城に加増移封された。
    寛永15(1638)年、下野山川から太田資宗が3万5千石で入封した。 正保元(1644)年、資宗は遠江濱松城へ移封となり、西尾は天領となった。
    正保2(1645)年、西尾城には上野安中城から井伊直好が3万5千石で入封した。
    万治2(1659)年、直好は遠江掛川城に転封となり替わって増山正利が2万石で入封した。
    増山氏2代正弥は、寛文3(1663)年に常陸下館城に移封となり、替わって西尾城には土井利長が2万石で入封した。
    土井氏は4代に渡って西尾を治め、4代利信の時の延享4(1747)年、三河刈谷城に移封された。
    替わって日向延岡城から三浦義理が入城した。
    三浦氏2代明次は、明和元(1764)年に美作高田藩に移封となり松平(大給)乗祐が出羽山形城から6万石で入封した。
    松平氏は5代に渡って西尾を治め乗秩の時に明治維新を迎えた。
  •  現  況 西尾城は本丸の土塁・水濠が残されており、城内には西尾神社・御剣八幡宮が鎮座している。 平成8(1996)年に本丸丑寅櫓や二之丸の鍮石門が復元されており、二之丸跡に旧近衛邸が移築されている。
    尚古荘という庭園があり、ここには東之丸の土塁がが良く残されている。
    市内には武家屋敷が散在しており、城下町の風情を伝えている。
    また、各城門跡には石柱や案内板が立てられており、西尾市の城址遺構にかける姿勢が見受けられる。
    城下

    寺本家長屋門

    寺本家長屋門
    外郭

    追羽門跡虎口

    追羽門跡

    天王門跡石柱

    天王門跡

    丁田門跡

    勘定所
    地方役所跡

    須田門跡石柱

    須田門跡虎口

    鶴ヶ崎門跡石柱

    鶴ヶ崎門跡
    三之丸

    吉祥院跡石柱

    三之丸北側
    堀跡

    三之丸北側
    堀跡

    大手門跡石柱
    と案内板

    大手門跡

    新門脇土塁

    新門跡
    東之丸

    太鼓門跡

    東之丸土塁

    東之丸土塁

    東之丸土塁

    東之丸

    本丸・二之丸
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