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| 所在地 | 愛知県西尾市錦城町 |
| 交通機関 | 名鉄西尾線西尾駅下車 徒歩15分 |
| 別 名 | 鶴城・鶴ヶ城・錦丘城・西条城 |
| 略 歴 |
西尾城の築城には諸説あり、 などが知られているが、明確に断定できるものはない。 明確なのは、足利義氏がこの城に入城し、長男長氏を封じて吉良氏を名乗らせた事である。 吉良氏は以後14代に渡って西条城を居城とした。この系統を西条吉良氏、三男の義継を東条城に封じ東条吉良氏と称した。 永禄3(1560)年、今川義元は西尾城に牧野成定を封じて、三河支配の強化と尾張織田氏への攻撃準備を行った。 永禄4(1561)年、桶狭間合戦で今川義元が討たれると、岡崎城に帰城した徳川家康は、三河の統一と今川支配からの脱却を目指して、家臣酒井正親に吉良氏14代吉良義諦の拠る西尾城を攻撃させて奪取し正親を城主とした。 天正18(1590)年、家康の江戸城移封に伴い、酒井氏2代重忠は、武蔵川越城に転出し、岡崎城の田中吉政の持城となった。 慶長6(1601)年、関ヶ原合戦の功で、本多康俊が2万石で入城した。康俊は大坂夏の陣で活躍し、元和3(1617)年に近江膳所城に転封となり、替わって松平(大給)成重が2万石で入城した。 入替わりで膳所城から本多俊次が入城した。 寛永13(1636)年、俊次は1万5000石に加増して5万石で伊勢亀山城に加増移封された。 寛永15(1638)年、下野山川から太田資宗が3万5千石で入封した。 正保元(1644)年、資宗は遠江濱松城へ移封となり、西尾は天領となった。 正保2(1645)年、西尾城には上野安中城から井伊直好が3万5千石で入封した。 万治2(1659)年、直好は遠江掛川城に転封となり替わって増山正利が2万石で入封した。 増山氏2代正弥は、寛文3(1663)年に常陸下館城に移封となり、替わって西尾城には土井利長が2万石で入封した。 土井氏は4代に渡って西尾を治め、4代利信の時の延享4(1747)年、三河刈谷城に移封された。 替わって日向延岡城から三浦義理が入城した。 三浦氏2代明次は、明和元(1764)年に美作高田藩に移封となり松平(大給)乗祐が出羽山形城から6万石で入封した。 松平氏は5代に渡って西尾を治め乗秩の時に明治維新を迎えた。 |
| 現 況 |
西尾城は本丸の土塁・水濠が残されており、城内には西尾神社・御剣八幡宮が鎮座している。
平成8(1996)年に本丸丑寅櫓や二之丸の鍮石門が復元されており、二之丸跡に旧近衛邸が移築されている。 尚古荘という庭園があり、ここには東之丸の土塁がが良く残されている。 市内には武家屋敷が散在しており、城下町の風情を伝えている。 また、各城門跡には石柱や案内板が立てられており、西尾市の城址遺構にかける姿勢が見受けられる。 |
| 城下 |
![]() 寺本家長屋門 |
![]() 寺本家長屋門 |
| 外郭 |
![]() 追羽門跡虎口 |
![]() 追羽門跡 |
![]() 天王門跡石柱 |
![]() 天王門跡 |
![]() 丁田門跡 |
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![]() 勘定所 地方役所跡 |
![]() 須田門跡石柱 |
![]() 須田門跡虎口 |
![]() 鶴ヶ崎門跡石柱 |
![]() 鶴ヶ崎門跡 |
| 三之丸 |
![]() 吉祥院跡石柱 |
![]() 三之丸北側 堀跡 |
![]() 三之丸北側 堀跡 |
![]() 大手門跡石柱 と案内板 |
![]() 大手門跡 |
![]() 新門脇土塁 |
![]() 新門跡 |
| 東之丸 |
![]() 太鼓門跡 |
![]() 東之丸土塁 |
![]() 東之丸土塁 |
![]() 東之丸土塁 |
![]() 東之丸 |
![]() 本丸・二之丸 |
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