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| 所在地 | 愛知県新城市野田字川原畑 |
| 交通機関 | JR飯田線 野田城駅下車 徒歩20分 |
| 別 名 | - |
| 略 歴 |
11世紀終わりころ、熱田神宮大宮司千秋季兼が稲木の長者を滅ぼして勢力をこの地に植え付けた。 3代清季がこの地に野田館を築いて居館して領したが、建武2(1335)年、建武の中興で戦功のあった冨永直郷が足利尊氏の命により千秋氏の居館であった野田館に入り、千秋氏に替わって富永荘を支配した。 永正2(1505)年頃には、菅沼氏や奥平氏の勢力が伸張し、冨永氏の領地は館周辺の野田郷四ヵ村のみとなってしまった。 館主の千若丸は、この事態に乱心して自刃して冨永氏は後継を失った。 この事態に多くの家臣は冨永氏」を見限って去っていったが、家臣の今泉四郎兵衛は、田峯菅沼定忠の三男竹千代(新八郎定則)を冨永氏の世継として迎えることに成功し、竹千代を野田館に迎え入れた。 野田館は豊川河畔にあったため、水害をたびたび被ったため、永正13(1516)年に上ノ山に新たに野田城を築城して移って野田館は廃された。 |
| 現 況 | 館址海倉橋の北側にあったが、現在は案内板の他はっきりわかる遺構は残されていない。 |
![]() 野田館跡案内板 |
![]() 野田館址付近 |
![]() 野田館址付近 |
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