帝國博物学協会
尾張國
緒川城
 所在地 愛知県知多郡東浦町緒川字古城 他
 交通機関 JR武豊線 緒川駅下車 徒歩10分
 別  名 小川城・緒川古城
 略  歴 文明7(1475)年、水野氏初代貞守が築城したのが始まりである。
以後代々水野氏が居城したが、忠政(徳川家康の生母於大の方の父)の時に刈谷城を築いて移り、緒川城は子の信元に与えられてた。
忠政の死後、信元は今川氏から織田氏についたため、今川方であった岡崎城の松平広忠は妻於大と離別した。
天正3(1575)年、信元は、織田信長に甲斐武田氏との内通を疑われたため、家康の命にて暗殺され緒川城は廃城になった。
天正8(1580)年、水野氏は帰参を許され、刈谷城には信元の末弟忠重が入り、緒川城には水野忠守が緒川新城を築いて居城とした。
その後忠重が豊臣秀吉に仕えた際には、忠守は緒川城を離れて徳川家康に仕えている。
慶長6(1601)年、関ヶ原合戦の戦功で水野分長が緒川城1万石が与えられて緒川城主となるが、慶長7(1606)年に新城城に移封となり廃城となった。
 現  況 城址は東浦町役場に程近い字古城の地にあり、北側の土塁が残されている。
土塁北西端は高く盛り上がっており、櫓台であったものと思われる。土塁上には緒川城址碑と解説版が立てられており、土塁下の公園には伝通院於大出生地碑が立てられている。
主郭南側の字羽城には、曲輪跡の遺構が明確に残されている。
一方北側の家臣屋敷や緒川新城(高藪城)は住宅地になって破壊されている。
主郭

北側土塁

櫓台

北側土塁

土塁上

城址碑

案内板と櫓台

主郭内

東側切岸

南東端
羽城

東側切岸

東側切岸

北側切岸

羽城内

南側土塁

南東角土塁
屋敷・新城

屋敷付近

緒川新城付近

緒川新城付近
乾坤院
緒川城城門
と水野氏歴代墓所
 所在地 愛知県知多郡東浦町大字緒川字沙弥田4
 交通機関 JR武豊線 緒川駅下車 徒歩20分
 現  況 宇宙山乾坤院総門は、緒川新城の正門を移築したと伝わっている。
境内には水野家四代(忠政・忠守・忠元・忠善)の墓所がある。
また、於大公園の一角には、緒川城主水野氏初代貞守・二代賢正・三代清忠および忠政の兄成政とその子の成清の墓所が存在している。

乾坤院総門

乾坤院総門

乾坤院山門

乾坤院本堂

堅雄堂

水野忠政墓所

右から忠守
忠元・忠善

水野家墓所

左から賢正
貞守・清忠
成政・成清

左から賢正
貞守・清忠
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