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| 所在地 | 愛知県豊橋市船渡町城戸中 |
| 交通機関 | JR東海道新幹線 豊橋駅下車 豊鉄バス船渡下車 徒歩5分 |
| 別 名 | 中島氏陣屋 |
| 略 歴 |
大崎城の創築は、永正年(1504-1520)間初頭に伊庭氏が居館を築いたという説があるが、定かではない。 大崎城が歴史上に登場するのは、永正15(1518)年の事で、今川氏の後援で吉田城奪還を図った牧野信成によって、止むを得ず開城して退却した戸田金七郎宣成が、牧野氏の勢力拡大を防ぐ目的で大崎城をを築城した時である。 享禄2(1529)年、岡崎城の松平清康が三河統一のために東三河に侵攻、吉田城を攻略し、田原城の戸田宗光も清康に降って、東三河は松平氏の勢力圏となった。 ところが、天文4(1535)年、尾張守山城で清康が家臣に殺害されると、一気に松平氏の勢力が衰えた。 天文6(1537)年、宣成は吉田城を攻略して城主牧野成敏を追い出した。 これにより、大崎城は使命を終えて廃城となったと考えられる。 なお、蛇足であるが、天文15(1546)年、駿河の今川義元が東三河に進出すると、吉田城で宣成は討死し、田原城も攻略されて、戸田氏は滅亡した。 慶長6(1601)年、旗本中島重好が607石でこの地に陣屋を構えて、以後9代に渡って陣屋を維持した。 |
| 現 況 |
大崎城址は龍源院、幸稲荷神社が城址である。 城址碑は龍源院の参道脇に立てられている。城址には空掘や土橋が残されているが、残念ながら時間がなくて見ることができなかったのは残念である。 再度訪れて見たいと思っている。 |
![]() 龍源院参道 |
![]() お葉付大イチョウ |
![]() 大崎城址碑 と六地蔵 |
![]() 大崎城址碑 |
![]() 龍源院参道 |
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![]() 龍源院参道 |
![]() 龍源院境内 |
![]() 龍源院参道 |
![]() 八幡神社東側 |
![]() 八幡神社 |
![]() 八幡神社鳥居 |
![]() 八幡神社拝殿 |
![]() 八幡神社西側 土塁 |
![]() 空掘跡か? |
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