帝國博物学協会
三河國
新城城
 所在地 愛知県新城市字西入船
 交通機関 JR飯田線 新城駅下車 徒歩15分
 別  名 新城陣屋
 略  歴 天正3(1575)年、織田信長・徳川家康連合軍が武田勝頼を完膚なきまでに撃破した、長篠の合戦を呼び込んだ、武田軍の長篠城攻撃をよく凌いだ功績によって家康の長女亀姫を娶る事となった奥平信昌が、翌天正4年に築城したのが新城城である。
新城城は、長篠城に対する新城ではあったが、既に新城古城(石田新城)が存在していたため、新城城という名称となったと言われている。
天正18(1590)年、徳川家康が江戸城へ移封になると、信昌もこれに従い上野国宮崎3万石で移った。
新城城には、吉田城に入城した池田輝政の家臣片桐半衛門が入城したが、半衛門は新たに石田城を築城して入城して新城城は廃城となった。
慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いで池田氏は東軍の徳川家康に与して戦功を挙げ、播磨姫路城に加増・転封となったため、長政もこれに従い、播磨赤穂城に移封となり、新城の地は天領となった。
慶長11(1606)年、緒川城から水野分長が新城城に入城した。
分長は新城城を再興して城下町を整備したが、正保2(1645)年、2代元綱が上野安中城に移封となったため、新城は再び天領となった。
慶安元(1648)年、交代寄合の菅沼定実(野田城主菅沼定盈の孫)が7,000石で封じられて陣屋を構築し、以後明治維新まで代々菅沼氏がこの地を治めることとなった。
 現  況 新城城址は新城小学校の校庭にあった城であるが、東南側の土塁と空掘が残されているのみである。
土塁上に城址碑と案内板が立てられている。

西側土塁跡

西側土塁跡

旧本丸

旧校舎

東南側土塁

土塁と案内板

新城城址碑

土塁上

土塁上

東南側空掘

東南側空掘
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