帝國博物学協会
三河國
勝鬘寺
 所在地 愛知県岡崎市針崎町朱印地
 交通機関 JR東海道線・愛知環状鉄道 岡崎駅下車 徒歩10分
 別  名 -
 略  歴 正嘉2(1258)年、三河最初の真宗道場として赤渋の地に信願房了海によって創建されたのが勝鬘寺の創始である。
15世紀中頃、九世住持了顕の時に隆盛を極めたが、その後水害の難を避けるために現在地へ移転した。
永禄6(1563)年、13世住持了意の時に三河一向一揆が勃発、主君徳川家康に叛旗を翻した本願寺門徒の家臣と、家康方に与した家臣とが敵味方に分かれて戦った。
一向一揆の拠点は、野寺本證寺・佐々木上宮寺とこの勝鬘寺で、勝鬘寺には蜂谷半之亟らが立て籠もりった。
蜂谷らは数ヶ月に渡って籠城したが、遂に家康によって制圧され、伽藍は炎上した。
その後、家康の許しを得て再建され、末寺道場数は百数十ヶ寺に及んだ。
 現  況 勝鬘寺は北側台地の付根方向に表門を向けており、この方面を堀切った台地上に建てられていたと考えられる。
台地下には堀が設けられていて、防御性が高い構造になっていたと考えられ、境内の一部には低い土塁状の土盛りを見られるが、これが往時のものとは考え難い。
なお、三河一向一揆でで討ち死にした渡辺高綱の墓が、裏の墓地に存在している。

勝鬘寺表門

勝鬘寺本堂

勝鬘寺境内

鐘楼

土塁状の盛土

南側切岸

南側切岸
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