帝國博物学協会
三河國
東条城
 所在地 愛知県幡豆郡吉良町大字駮馬字城山
 交通機関 名鉄西尾線 上横須賀駅下車 徒歩20分
 別  名 -
 略  歴 築城年代は不明であるが、承久3(1221)年、足利義氏が築いて3男の義継を入城させたのが、創始と言われている。
以後、義継を祖とする前期東条吉良氏と吉良尊義を祖とする後期東条吉良氏の居城となった。
応仁の乱には、西条・東条吉良氏は東西に別れて争い、東条吉良義藤は敗れ城は落城した。 東条吉良氏12代持広は岡崎城を根城として勢力を拡大する松平清康の妹を娶り、松平氏との関係を強化すると、西条吉良氏と和睦して義安を養子に迎えた。
更に清康の娘を13代に据えた義安に娶らせて松平氏との関係を強化した。
松平清康が尾張守山城で家臣に刺殺されると、清康の遺児仙千代(広忠)を親代わりに庇護している。
永禄4(1561)年、桶狭間合戦以後今川氏を離れて尾張織田信長と同盟を結んだ徳川家康は、今川氏の勢力を三河から駆逐する動きを先鋭化させた。
東条吉良氏14代義昭は、今川方の勢力として対立したが、藤波畷の戦いで敗れると降伏した。
義昭は家康から許されて岡山城へ移ったが、永禄6(1563)年に発生した三河一向一揆に同調して一揆方に加わり東条城を再奪取したが、家康に再度攻略され、名門東条吉良氏は滅亡した。
替わって家康配下の松平(青野)家忠が入城し、ここに東条松平家が成立した。
天正9(1581)年、家忠が没すると、家康は四男忠吉を家忠の後嗣に据えて東条城1万石を与えた。
翌天正10(1582)年、忠吉は駿河三枚橋城(沼津城)4万石に移され東条城は廃城となった。
 現  況 城址は本丸・二之丸・三之丸・帯曲輪などの曲輪跡が残されており、土塁などを見ることができる。
平成元年、“ふるさと創生資金一億円”で古城公園として整備され、櫓門や物見櫓などが模擬復元されている。
自治体の城址整備と言うと白亜の天守を建てたがるものであるが、東条城が存在した時代に即した中世風の櫓門・井楼櫓が復元されており、往時の雰囲気を垣間見る事ができる。

東条城遠望

副郭

駐車城側入口

駐車城側入口

副郭と本丸切岸

副郭

副郭

大手口と帯曲輪

大手口

大手道と帯曲輪

大手道と帯曲輪

南西側土塁

南西側土塁

南西側副郭

帯曲輪

帯曲輪

帯曲輪

横矢

三之丸

大手模擬冠木門

大手冠木門
横矢

三之丸

三之丸案内板
と本丸切岸

三之丸土塁

三之丸土塁

三之丸土塁

三之丸土塁

三之丸土塁

三之丸と本丸

北側空掘

二之丸

二之丸切岸

二之丸切岸

二之丸

二之丸土塁

二之丸土塁

二之丸

二之丸

本 丸
Top