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| 所在地 | 愛知県一宮市千秋町浮野字海道 |
| 交通機関 | 名鉄本線 新一宮駅下車 名鉄バス浮野下車 徒歩5分 |
| 別 名 | - |
| 略 歴 |
永禄元(1558)年、岩倉城主、織田伊勢守信安は織田信長の弟で、末盛城主であった、織田信行と結んで信長に反旗を示した。 5月28日、信安は2000の兵を率いて、浮野に出陣した。信長は主力を率いて出陣していないため、小競り合いに終始したといわれる。 信長は、この時浮野の鴬ヶ池のそばに、浮野城(陣城のようなものであろう)を築いて、岩倉方に備えた。 信長が、本格的に岩倉城攻略を開始したのは、2ヵ月後の7月12日のことである。 信長は、犬山城の織田信清を味方に付け、3000の兵を率いて浮野に陣を進めた。 一方岩倉方も、兵3000を率いて信長軍と対峙、合戦に及んだ。合戦は信長軍有利に展開し、岩倉方は首9百余を討ち取られるという、惨憺たる敗北となった。 この結果、岩倉織田氏は勢力を失い、翌年3月に岩倉城は落城している。 |
| 現 況 |
城は、鴬ヶ池のそばにあったと言われているが、既に鴬ヶ池そのものが存在していない。 現在、浮野古戦場首塚として案内板が立っており、石碑が建てられている。 この場所が城址でない事は明白だが、関連ということで、ご容赦願いたい。 |
![]() 浮野古戦場首塚 |
![]() 浮野古戦場跡碑 |
![]() 浮野古戦場跡碑 |
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