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| 所在地 | 愛知県岡崎市国正町字西浦 |
| 交通機関 | JR東海道線 岡崎駅下車 名鉄東部交通バス 国正下車 徒歩10分 |
| 別 名 | - |
| 略 歴 |
嵯峨源氏の武将渡辺綱の後裔を称渡辺道綱が、三河国額田郡浦部村に移住して築城したのが、占部城の創築である。 道綱の子範綱は、松平氏に仕えたとされ、以来氏綱・高綱・守綱と代々この城に居城した。 永禄6(1563)年の三河一向一揆では、渡辺半蔵守綱は、父道綱と共に一揆方に与して家康と対峙した。 この戦いで、高綱は討死したが、一揆が収束すると守綱は許されて徳川家臣団に復帰し、その後「槍の半蔵」として、家康の主な戦いに参陣して活躍した。 天正18(1590)年、家康が関東移封されると、守綱は武蔵比企郡に3000石を与えられ、野本陣屋を築いて移転した。 これによって占部城は廃城となったと考えられる。 |
| 現 況 |
城址は国正町の集落となっている。 集落西側にかろうじて土塁が残されているのが、唯一の遺構と言えよう。 |
![]() 占部城南面遠望 |
![]() 占部城址 |
![]() 占部城址 |
![]() 占部城址 |
![]() 西側土塁 |
![]() 西側土塁 |
![]() 占部西面 |
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