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| 所在地 | 香川県仲多度郡多度津町桃山 桃陵公園内 |
| 交通機関 | JR多度津駅下車 徒歩15分 |
| 別 名 | 多度津城 |
| 略 歴 |
鎌倉権五郎景政の子孫である兵部少輔景房が、南北朝の頃に細川頼之に従って讃岐に下向、貞治元年の白峰合戦で南朝方の細川清氏を破って軍功を挙げ、三野・多度・豊田三郡に領地を得る事と成った。 景房は香川氏を称して、貞治3(1364)年、本台山城を居城として築城した。 本台山城は、平時の居城としての役割を担ったが、詰の城として天霧城が築かれている。 応永7(1400)年、守護細川家を後ろ盾とした香川氏は、更には西讃岐守護代に任じられている。 応仁の乱では香川五郎次郎和景(?)が、守護細川勝元に従って上洛、東軍の主力として活躍しているが、この後讃岐は細川氏・三好氏・香西氏・香川氏が勢力を争う戦国乱世に突入して行った。 永禄元(1557)年、阿波の三好義賢(実休)が香川之景を攻略すべく讃岐に西侵したが、之景が良く防戦に努めて攻めあぐね、義賢は之景と和睦した。これにより、香川氏は三好氏の与力となっている。 天正6(1578)年、長宗我部元親が讃岐に侵攻すると翌7年、元親の親政を養子に迎え長宗我部氏に属する事となった。 天正13(1585)年、豊臣秀吉が三好氏を支援するために四国に征討軍を送った。 元親は、征討軍に対して頑強に抵抗したが、長宗我部氏が誇る一両具足も、専業化した豊臣軍の兵には歯が立たず、降伏し土佐一国に押し込められる事と成った。 これにより、香川親政は土佐へ移ったため、本台山城は廃城となった。 |
| 現 況 |
本台山城は現在では桃陵公園となっている。 特に城址碑などは存在しないが、公園の地図に解説が少し記されている。 遺構は良く見ればわかるが、あまり城址を見慣れていない方には、遺構の存在はあまり判らないかもしれない。 最高所の主郭は、中世ヨーロッパの城を模った子供向け遊具が迎えてくれるが、あまり整備されていないようで、既に使われている様子はなかった。 使えないのであれば撤去して欲しいと思うのは私だけであろうか。 |
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