帝國博物学協会
讃岐國
屋島城
 所在地 香川県高松市屋島
 交通機関 JR高徳線 屋島駅下車 ことでんシャトルバス 屋島下車 徒歩0分
 別  名 -
 略  歴 天智天皇2(663)年、百済の救援に赴いた大和朝廷の水軍は、白村江で唐・新羅連合軍に敗れた。
この敗戦に驚いた朝廷では、連合軍が日本へ攻めてくる恐れがあることから、九州から瀬戸内沿いに防塁を築いた。
天智天皇6(677)年、朝廷は大和の高安城、対馬の金田城と共に讃岐に屋島城を築いたと、日本書記に記されている。
実際には、連合軍が日本国内に攻めて来る事が無かったため、屋島城が戦闘に使用される事は無かった。
元暦2(1185)年、源氏の攻勢に一ノ谷の合戦で敗れて退いた平氏は、この屋島を決戦の地として安徳天皇の安在所を屋島の西岸に置いた。
攻勢を強める源氏の将源義経は、摂津渡辺党、熊野水軍、河野水軍の援護を受けて暴風雨の中を出航し、阿波勝浦に上陸、一気に平家の拠る屋島に攻めかかった。
平家はこの奇襲に驚き、船を漕ぎ出して海上に逃れた。この際に那須与一の扇の的の逸話が生まれている。
激しい戦いの結果、平家はこの地を失い撤退していった。
屋島の戦いに勝利した源氏の将兵が、屋島山頂の瑠璃宝の池で刀を洗い、池が紅に染まった事から、この池が血の池とも呼ばれるようになった。
 現  況 屋島山頂全体が城址であると考えられ、獅子の霊巌展望台付近に城址案内板が立てられている。
従来から石塁が残されている事は判っていたが、近年外郭線の城門跡が発掘され、復元に向けての構想が練られている。

城址案内板

城址案内板

屋島東側遠望

高松城遠望
屋島寺

屋島寺山門

本堂

雪の庭園
瑠璃宝の池

瑠璃宝の池

瑠璃宝の池
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