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| 所在地 | 千葉県市川市国府台 里見公園内 |
| 交通機関 | 京成電鉄 国府台駅下車 徒歩20分 | 別 名 | - |
| 略 歴 |
国府台城を語るとき、国府台合戦抜きでは語ることができない。 文明11(1479)年7月、扇谷上杉氏の家宰太田道灌は千葉自胤を援け、臼井城にこもる千葉孝胤討伐のため、国府台に城を築いた。これが、国府台城の起源といわれている。 第一次国府台合戦 天文7(1538)年、小弓公方足利義明・里見義尭は、江戸川を渡って進出した北条軍とこの地で激突した。義明は激闘の末に戦死し、里見勢は国府台より退却した。 第二次国府台合戦 永禄7(1564)年、里見義弘は再び国府台城に篭城し、下総進出を企てる北条軍迎え討った。 里見勢は緒戦を優勢に戦ったが、北条軍は里見勢の油断をついて翌早暁に国府台城に攻め込んだ。 そのため城内は大混乱陥り、義弘は安房に敗走し、国府台城は北条氏の支配下に置かれた。 天正18(1590)年、豊臣秀吉の小田原征伐で関東に国替えとなった徳川家康は、国府台城が江戸俯瞰の地であることから廃城とした。 |
| 現 況 |
城址は里見公園として整備されており、園内には大規模な比高二重土塁を見ることができる。 城の規模から考え、本来の城域はもっと広かったものと考えられるが、そのほとんどが宅地化の波に襲われている。 また、堀切(現道路)を挟んだ地区は文教地区となり、多くの学校が建てられている。 |
![]() 国府台城址碑 |
![]() 国府台城説明版 |
![]() 土塁 |
![]() 土塁 |
![]() 土塁 |
![]() 土塁 |
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![]() 夜泣石 |
![]() 里見広次並びに 里見軍将士亡霊の碑 |
![]() 土塁と空掘 |
![]() 土塁 |
![]() 空掘 |
![]() 土塁 |
![]() 土塁 |
![]() 櫓台? |
![]() 堀切跡 |
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