帝國博物学協会
下総國
古河公方館
 所在地 茨城県古河市鴻巣
 交通機関 JR宇都宮線 古河駅下車 徒歩20分
 別  名 鴻巣御所
 略  歴 康正元(1455)年、享徳の乱で鎌倉を追われた鎌倉公方足利成氏が古河に館を築いた。これが古河公方館の創築である。
長禄元(1457)年頃には、<a href="koga.html" target="_blank">古河城を改修して移り、館は廃された。
古河公方館が再び使用されたのは、元亀元(1570)年のことであった。
天正11(1583)年、足利義氏が没したため、息女氏姫が古河公方職を継いだ。
天正18(1590)年、小田原の陣で北条氏が滅んだ後、古河公方家の滅亡を惜しんだ豊臣秀吉は、小弓公方足利頼純の子国朝が氏姫の婿に入り、古河公方家を継いだ。
文禄2(1593)年、国朝が没したが、子がなかったため頼純の次男頼氏が氏姫に婿入りした。
氏姫は江戸幕府による喜連川藩の創設と足利家への扱いに不満を抱き、喜連川への移住を拒否、古河公方館に住み続けた。
嫡男義親は母氏姫と共に古河公方館に住み続けたが、寛永4(1627)年に義親が没したため古河公方館も廃された。
 現  況 古河公方館址は、古河総合公園として整備されている公園内に残されている。
総合公園の片隅、御所沼に囲まれた舌状の台地の付け根を掘り切って築かれており、その空掘がが良く残されている。
往時の御所沼は、現在より遼に広く、防衛上大きな役割を担っていた。

古河公方館址碑

古河公方館址碑
と案内板

空掘

土橋

切岸

空掘

東北角切岸

北側切岸

館北面

館北面

館北面

館北面

西北側

西南側

南側

南西角と御所沼

南側

南側切岸

南側

御所内

御所内

御所内

御所内

御所内

御所内

御所内

御所内

御所内

御所内
徳源院跡 興王山徳源院は、鎌倉円覚寺派の臨済禅寺で、夢窓国師の開山とも、大円国師とも伝えられている。
最後の古河公方足利義氏の娘氏姫の法号徳源院を寺名とした寺であったが、いつ頃廃寺になったかはっきりしない。

徳源院跡

徳源院跡
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