帝國博物学協会
下総國
馬加城
 所在地 千葉県千葉市花見川区幕張3
 交通機関 JR総武線 幕張本郷駅下車 徒歩20分
 別  名 -
 略  歴 千葉家14代満胤の長庶子、康胤が馬加氏を名乗り居城した。
康正元(1455)年、城主康胤は、古河公方足利成氏の命の下、原胤房と猪鼻城の千葉宗家千葉胤直を攻めた。
胤直は、子息胤宣は城を捨て、千田庄の志摩城・多古城に籠って上杉氏の救援を待ったが、来援なく千葉宗家は滅亡した。
康胤は、成氏の命で千葉宗家を継ぎ、17代当主として、新たに将門山城を築城して本城とした。
将軍足利義政は、美濃郡上郡の千葉氏の一族、東常縁に康胤攻撃を命じて下向させた。
常縁は、各地で康胤方を撃破、12月13日には馬加城も落城している。この時に廃城になったと考えられる。
なお、康胤は翌康正2年、村田川の戦いで敗れ、戦没(自害とも)している。
 現  況 城址は幕張3丁目の台地上、通称「屋形の台」に存在していたが、現在は巨大なマンションが建っている。 城内は、これだけ巨大なマンションを建築すれば、やはりと言うか当然のように遺構は残されていない。 また、城址碑や案内板の類も皆無で、一見すると、ここに城址など存在しなかったように装っているように見える。
台地周囲は、往時は深い沼地であった事が容易に想像できるような残滓が残っている。
勝手な想像だが、台地突端のマンション部分を主郭とし、連絡式に台地上に郭が連郭式に並んでいるような城を想像すると、今畑になっている場所の地下に、少しでも遺構が残されていればと期待する。
できれば、案内板の一つも欲しいものである。

馬加城址遠望

馬加城址

台地下

主郭方面を望む

台地縁

馬加城址

台地下の湿地
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