帝國博物学協会
上総國
大関城
 所在地 千葉県東金市依古島
 交通機関 JR東金線 東金駅下車 九十九里バス 工業団地下車 徒歩15分
 別  名 -
 略  歴 元久元(1204)年、安房から来た畠山重忠の一族によって築かれた。
畠山氏は以降土気城を本城として、大関城も支配したが、中野城の酒井定隆の勢力が伸張し、長享2(1488)年には畠山氏の本城土気城を落とし、畠山重康は大関城へ逃走した。
酒井氏は、更に大関城の畠山氏を攻め続けたが、周囲の湿地に悩まされ、なかなか落城させることができなかった。
重康は16年間、孤軍奮闘で大関城を死守したが、家臣今関勘解由らの裏切りで、大永6(1526)年、遂に落城した。
以後は酒井氏の下で、今関氏が城主となって依古島の地を治めた。
 現  況 城址は大関神社付近に広がっている。
大関神社と隣の民家の地が本丸で、周囲より高くなっており、神社・民家背後には、内堀跡が明瞭に見て取れる。
神社の北側に二之丸があったと記録されているが、東金九十九里道路の建設で破壊されてしまったのは残念である。
西から南にかけては、外郭の土塁・空掘跡が良く残っているが一部が園芸用の樹木畑によって破壊されているのが残念である。
二之丸西面は、土塁の外に用水となっている水濠・内側に空掘を持つ面白い構造となっている。

大関城址案内板

大関神社本殿

大関神社側面
の内堀跡

大関神社裏
の内堀跡

本丸土塁
と空掘

二之丸

二之丸西面
空掘

二之丸西面
土塁

二之丸西面
空掘

本丸土塁と
空堀

二之丸西面
空掘

二之丸西面
土塁

二之丸南面
空掘

二之丸西面
空掘
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