帝國博物学協会
上総國
田間城
 所在地 千葉県東金市田間字宮ノ下
 交通機関 JR東金線 東金駅下車 バス 神社下車 徒歩15分
 別  名 -
 略  歴 永正6(1509)年、土気城主酒井定隆によって築かれたといわれている。
定隆は本城を土気からこの田間城に移したが、地形が狭く、防備上不便を感じたため、本城を鴇ヶ峯城へ移し、以後酒井氏の支城群の一つとなった。
天正18(1590)年の豊臣秀吉の小田原の陣以降廃城となったものと思われる。
 現  況 城址は田間神社背後の山に存在しており、田間神社社務所左手から本殿裏手に廻ると、獣道のような登り口がある。
田間神社裏手の上り道は、非常に急で搦手口だと言う事が想像される。
登りきると本丸・二之丸間の空掘下に出る。
本丸には小口の土塁が残されている。
本丸・二之丸共非常に広く、下草も刈られており、良く整備されていた。
城址標柱は腰曲輪の祠脇に立っている。この腰曲輪も十分に広い空間である。
大手口はこの腰曲輪の下に向かって開かれており、数段の腰曲輪や、虎口と思われる土塁を過ぎた山下に残されている。
山下の民家がある辺りは、当時根古屋として城主の常の居館が営まれていたと場所と思われる。
大手門跡はこの民家の右手にあり、土塁が良く残されている。

田間神社

搦手途中の
腰曲輪

城址標柱と祠

本丸・二之丸
間の空掘

本丸・二之丸
間の空掘

本丸小口

本丸小口

本丸

本丸

切岸

本丸腰曲輪

本丸土塁

本丸

本丸小口
(内側から)

二之丸

二之丸腰曲輪

二之丸土塁
と空掘

本丸下腰曲輪

大手道から
二之丸を見上る

大手道と
腰曲輪小口

腰曲輪

腰曲輪群

虎口跡

虎口跡

大手門跡

大手門付近
と脇の土塁

田間城遠望
(民家が根古屋)
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