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| 所在地 | 千葉県東金市東金字谷 |
| 交通機関 | JR東金線 東金駅下車 徒歩40分 | 別 名 | 東金御殿・鴇ヶ峯城 |
| 略 歴 |
千葉氏が最初にこの城を築き、鴇ヶ峯城と称したのが東金城の始まりである。 享徳・康正(1452〜57)年間千葉氏が2派に別れて戦い、馬加康胤千葉氏を乗っ取った。これに対して美濃の東常縁が下向し、康胤と対峙し、康正2(1456)年に上総八幡で敗死させた。 この時、常縁は鴇ヶ峯城に武将浜式部春利を入れて守らせている。 常縁は、その後美濃の本領が斎藤妙椿に侵されたため、この地を去っているが、浜氏も常縁に従ったと思われる。 その後、この城に入ったのは、土気の酒井氏であった。 酒井定隆は、土気城から田間城へ移った後、大永元(1521)年頃、鴇ヶ峯城に移り、東金城に改称したと言われている。 この後、酒井氏は5代に渡って東金城に居城したが、天正18(1590)年、豊臣秀吉の小田原の陣で小田原北条氏側に与したため、東金城は浅野長政によって摂取され、酒井氏五代政辰は北幸之谷の妙徳寺に蟄居した。 戦後、江戸城に入封した徳川家康は、慶長18(1603)年、東金城の跡に御鷹場御殿として東金御殿を築き、幕末近くまで御鷹場として栄えた。 |
| 現 況 |
城址は八鶴湖西岸の本漸寺背後の御殿山に存在しており、本漸寺と東金高校の間の登城路から登ることができる。 登城中にいくらかの腰曲輪などが散見される。最初の分岐点で左方に向かうと、城址南端の小曲輪に至る。ここには櫓台と思われる高みが残されており。また、堀切が存在する。 分岐点を右に登ると、竪堀・空掘などを経て、二之丸に至る。二之丸には土塁が残されており、その背後に空掘りが存在する。 一旦空掘に下り、再度登ると、腰曲輪を経て本丸に至る。 本丸は熊笹に覆われており、中に入っていくことができないのは残念である。 本丸を更に奥に向かう小道を辿ると、本丸南側の土塁下を通って三之丸に至る。 本丸と三之丸の間には空掘りが存在しているが、ここも熊笹に覆われており、遺構は判然としない。三之丸についてもやはり熊笹に覆われている。 三之丸を越えて更に先に向かうと、遠見台と思われる曲輪に出る。付近には、戦時中に築かれたコンクリート製のトーチカがあり、東金城が、太平洋戦争中まで使われていたことを示している。 本漸寺背後の本丸直下には見事な空掘が残されている。ここに出るためは、本漸寺背後を直登するしかないので、できればルートを整備してほしいものである。 |
![]() 東金城址案内板 と本漸寺土塁 |
![]() 徳川家康 手植の蜜柑 |
![]() 本漸寺境内 |
![]() 本漸寺本堂 |
![]() 東金城址碑 |
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![]() 城址入口と 御殿山碑 |
![]() 南端掘切 |
![]() 櫓台跡 |
![]() 切岸 |
![]() 竪堀 |
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![]() 空掘 |
![]() 空掘 |
![]() 土塁と空掘 |
![]() 二之丸 |
![]() 二之丸土塁 |
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![]() 空掘 |
![]() 二之丸土塁 と空掘 |
![]() 本丸下腰曲輪 |
![]() 本丸跡 |
![]() 本丸跡 |
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![]() 本丸土塁 |
![]() 本丸土塁 |
![]() 本丸下腰曲輪 |
![]() 本丸三之丸 間の空掘 |
![]() 三之丸跡 |
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![]() 見張台の トーチカ |
![]() 本漸寺裏尾根 |
![]() 大空掘と土塁 |
![]() 大空掘 |
![]() 見張台から 尾根筋を望む |
![]() 大空掘と 見張台土塁 |
![]() 八鶴湖対岸から 東金城を望む |
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