帝國博物学協会
下野國
足利学校
 所在地 栃木県足利市昌平町
 交通機関 JR両毛線、足利駅下車 徒歩10分
 別  名 -
 略  歴 足利学校の創設時期についてはよく判っていないが、下毛之国(下野国)国府と国学が併殺されたという8世紀説、鎌倉大草紙に記されている、小野篁が承和6(839)年頃に創設したという説、12世紀末に足利義兼によって設立されたという説の、3説がある。
その後、室町期には衰退に向かったが、永享4(1432)年、関東管領上杉憲実が、鎌倉円覚寺の僧快元を庠主に招き、蔵書を寄贈し、学校の再建を行った。
これによって学校は復興し、爾来天下に並びない学校として興隆した。
享禄年(1528〜31)間に発生した火災で一時衰微したが、第7代庠主、九華が後北条氏の保護を受けて学校を再興した。
これにより、学徒の人数は3000人を越えることとなり、宣教師フランシスコ・ザビエルが「日本国中最も大にして最も有名な坂東のアカデミー」と海外に紹介するなど、学校は最盛期を迎えた。
天正18(1590)年、豊臣秀吉の小田原征伐によって北条氏が滅亡したため、学校は所領を奪われた。
また、豊臣秀次によって蔵書が持ち出されるという事態が発生したため、学校は窮地に陥った。
そのため、徳川家康を頼って再び保護を受ける事に成功した。
しかし、江戸期に入ると次第に足利学校の教育カリキュラムが時代遅れになっていったため、徐々に衰退し、明治維新後の明治5(1872)年に廃校となった。
 現  況 足利学校には現在でも多くの蔵書が残されており、公共図書館として足利学校遺蹟図書館を設立した。
大正10(1921)年、孔子廟や学校門などが国の指定史跡とされ、方丈や庫裏などが復元されている。

北側土塁と水濠

北側土塁と水濠

東北角土塁と
水濠

東側土塁と水濠

東南角土塁と
水濠

史跡足利学校跡
石碑

南東側土塁
と水濠

裏門

入徳門

学校門

学校門裏側

杏壇門

孔子廟

方丈と庫裏

庫裏東側

木小屋

庫裏北側

土蔵

北庭園

北庭園と方丈

孔子廟北側

西側土塁

西側土塁

裏門裏側

足利尊氏銅像
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