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| 所在地 | 栃木県小山市城山町1 |
| 交通機関 | JR小山駅下車 徒歩15分 | 別 名 | 小山城 |
| 略 歴 |
2008/3/22更新 平安時代に藤原秀郷が築いたという伝承もあるが、正確な築城者・築城年代は不明である。一説には小山政光によって築かれたとも言われているが、小山氏の本拠は現在曲輪と呼ばれている小山氏館であった。 この城が歴史上に出現するのは、小山氏支配下の14世紀に入ってからである。 小山氏は藤原秀郷を祖とする下野の有力豪族で、一族に結城・長沼・皆川・山川の各氏を輩出している。 康暦2(1380)年、下野の対抗勢力宇都宮基綱を、領地争いから攻め滅ぼしたことにより、鎌倉公方から攻められることとなる。 当時の小山氏の居城は鷲城であったが、祇園城もその支城として登場している。 攻撃の主力は関東管領上杉憲方の代官上杉朝宗と下野守護代木戸法季であった。 小山義政は4ヶ月に渡って籠城するが、一旦降伏した。 翌永徳元(1381)年、再度挙兵して、6ヶ月に渡って鷲城に籠城するが鷲城は落城、義政は降伏して出家した。 翌永徳2(1382)年、義政は三度挙兵、祇園城に火をかけると、粕尾城に籠城した。足利氏満は度重なる義政の反抗に対して自ら出陣し、大軍をもって粕尾城を攻撃、義政治は敗れて自刃した。 嫡子若犬丸は戦場を逃れ、常陸の小田氏の後援によって、難台山城に拠ったが敗れ、応永4(1379)年、奥州会津の地で自害し、小山氏は滅亡した。 小山氏の名跡は、一族の結城泰朝によって継承された。 その後の祗園城は、足利将軍家と鎌倉公方の争い、古河公方政氏と子の高基の対立、北条・上杉・武田の北関東争奪戦によって翻弄される事となる。 永禄3(1560)年、上杉謙信が関東管領として越山したため、小山高朝は謙信に従って出兵した。その後、謙信の命令に従わなかったため、永禄6(1563)年、祇園城は謙信に攻撃され、城主小山秀綱は敗れて開城している。 天正2(1574)年、北条氏照が祇園城を攻略すると、城主小山秀綱は追放された。 天正10(1582)年、甲斐の武田氏が滅亡し、織田氏の勢力が上野まで進出した。 厩橋城に滝川一益が入城した際に、小山秀綱は祗園城主として返り咲いている。 本能寺の変で信長が横死すると、北条氏が北関東に進出を再開した。一益は神流川合戦で北条氏と雌雄を決する戦いを行ったが、敗れて本城のある伊勢まで落ちていった。 この時点で小山氏には、北条氏の支配を受け入れるしか生き残る道は無かったといえよう。 天正18(1590)年、小田原戦役で、北条氏側に就いた小山秀綱・正昭は、祗園城に籠城したが、豊臣秀吉方の結城晴朝の攻撃を受けて落城、小山氏は滅亡した。 小田原戦役後に関東に入封した徳川家康は、元和2(1616)年、祗園城を本多正純に与えて城を整備したが、元和5(1619)年宇都宮城に転封になり、廃城になった。 |
| 現 況 |
現在、国指定史跡に指定された城址は城址公園となり、本丸・二曲輪・馬出・などの曲輪跡がよく残っている。 城址の範囲は非常に広いため、東側の曲輪群は宅地化によって失われているが、天翁院曲輪に至るまで、中世の城郭遺構を堪能する事ができる。 道路を挟んで南側には、小山御殿跡が小山御殿広場となって存在するが、その西側に太鼓曲輪が土橋や空掘と共に残されている。 |
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天翁院曲輪 2008/03/22追加 |
天翁院曲輪は、祇園城最北端の曲輪で、小山氏の菩提寺天翁院が置かれていた。 文明4(1472)年、小山高朝は、倍芝正悦を中興開山として、中久喜にあった寺を現在地に移建した。 天正元(1573)年、高朝の法名「天翁孝運」にちなみ「天翁院 」と改めたといわれている。 |
![]() 天翁院曲輪 北東端土塁 |
![]() 東側土塁 |
![]() 天翁院曲輪 虎口 |
![]() 天翁院本堂 |
![]() 本堂南側 |
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![]() 北側土塁 |
![]() 北側土塁 |
![]() 本堂北側 |
![]() 北側空掘 |
![]() 北側空掘 |
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![]() 北側空掘 |
![]() 北側空掘 |
![]() 北側空掘北端 |
![]() 北側土塁 |
![]() 北西側土塁 |
![]() 天翁寺曲輪 |
![]() 天翁寺曲輪 |
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北久保曲輪 2008/03/22追加 |
塚田曲輪北面に置かれた曲輪で、日本城郭体系の縄張図には北久保曲輪と記されているが、実質は角馬出だと思われる。 東側に虎口を設けており、土橋は三曲輪から横矢がかかっている。 |
![]() 北側空掘 |
![]() 東側空掘 |
![]() 馬出東北角 |
![]() 土橋 |
![]() 土橋(郭内から) |
![]() 馬出 |
![]() 馬出東北角 |
![]() 馬出北側 |
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井戸屋形 2008/03/22追加 |
この曲輪を当時何と呼んでいたかは不明だが、「井戸並屋形」という標柱があったので、仮称として井戸屋形としておく。 |
![]() 井戸並屋形石碑 |
![]() 小祠 |
![]() 屋形内 |
![]() 南側切岸 |
![]() 南西角切岸 |
![]() 北側切岸 |
![]() 塚田曲輪 |
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