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| 所在地 | 栃木県足利市岩井町 |
| 交通機関 | JR両毛線 足利駅下車 徒歩20分 | 別 名 | 叶城・勧農城 |
| 略 歴 |
岩井山城は、古くは勧農城と呼ばれ、文正元(1466)年、山内上杉氏の足利侵攻に伴って、長尾景人が足利荘代官として入城した。 以後、古河公方足利氏と山内上杉方がこの城を巡って攻防を繰り広げた。 応仁2(1468)年、古河公方方がこの城を攻撃、文明3・4(1471/72)年、上杉氏の反抗、長享2(1488)年、上杉氏の侵攻などが知られている。 永正9(1512)年、足利荘は上杉氏の支配下にあり、代官長尾景長(景人の息)は新たに足利城を築城して移り、岩井山城はその支城となった。 永禄5(1562)年、長尾政長が館林城を居城とすると、白石豊前守が岩井山城に入城したと伝わる。 |
| 現 況 |
城址は渡良瀬川の氾濫源に一際高く盛り上がる、岩井山の山上にある。 岩井山は、嘗てその南北双方を渡良瀬川に囲まれた天然の要害であったが、現在では北側の河道はグランド・テニスコート・プールなどになっている。 城址へは、北側の堤防上、赤城神社参道側と南側からの2方向から入る事ができる。 赤木神社・廃屋・乳房地蔵のある平場は、東側の腰郭に当る。 乳房地蔵南側より山上への道があるが、山上は熊笹に覆われており、冬場でも藪漕ぎをすれば怪我をしそうである。 主郭北東部には櫓台の土塁がある。主郭の西側から土塁上を伝わって南西側の櫓台らしき高まりに向かう事ができる。 この土塁の東側には一段低い郭が存在するが、やはり背丈以上の熊笹に覆われており、危険である。 主郭北側にも、二等辺三角形の郭が存在しており、また、山の西側にも帯郭が存在している。 大手口は乳房地蔵の南方と考えられ、この前面に馬出と思われる小郭と土塁が残っている。 |
![]() 西側帯郭より 見た南西櫓台 |
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