帝國博物学協会

下野國
飛山城
 所在地 栃木県宇都宮市竹下町380
 交通機関 JR宇都宮駅下車 JR東日本バス 下竹下下車 徒歩10分
 別  名 -
 略  歴 永仁年(1293〜1298)間、宇都宮氏の重臣であった芳賀高俊によって築かれたといわれている。
芳賀氏は舎人親王の流れを汲む一族で、龍口の武士清原高澄の息高重が天皇の怒りに触れ、寛和元(985)年に下野に配流され芳賀郡大内荘に住まったのを始祖とする。
南北朝期には、芳賀高名が宇都宮氏綱に従って北朝方に属して常陸を拠点とする南朝方の北畠親房の勢力と戦ったが、暦応4(1341)年、南朝方の春日顕国が飛山城は落城した。
その後、南朝方が勢力を失うと、芳賀氏は飛山城を奪回している。
芳賀成高の息、太郎丸が、主家宇都宮氏の名跡を継いで宇都宮正綱となり宇都宮城に入城すると、芳賀氏と宇都宮氏が協力して領国を統治した。
永正9(1512)年、宇都宮氏と芳賀氏の勢力争いがきっかけで、宇都宮成綱が芳賀高勝を殺害し、所謂宇都宮錯乱が勃発した。
成綱は弟の興綱を養子として芳賀氏に送り込んだが、大永6(1526)年、興綱は結城城を本拠とする結城政朝と手を結び、宇都宮氏に叛旗を翻すと、飛山城は芳賀氏と宇都宮氏の中間に存在するため、重要な拠点となった。
弘治3(1557)年、壬生綱雄の占拠していた宇都宮城を、佐竹義昭の支援によって芳賀高定が奪回したが、飛山城はその前線基地として機能しいる。
天正18(1580)年、豊臣秀吉によって所領を安堵された宇都宮氏は、領内の支城の破却を命じられ、飛山城は廃城となった。
 現  況 飛山城址は、国指定史跡に指定されており、飛山城史跡公園として整備されている。
城址入口には、とびやま歴史体験館が建てられており、飛山城の歴史や下野国内の戦国史について解説している。
城址は、とびやま歴史体験館付近の、土塁・馬出し・櫓台・建物などが復元されている『復元ゾーン』、下草などが刈られて遺構を確認できる『整備ゾーン』、全く未整備に近い『未整備ゾーン』に分けられる。
特に外郭の南東側には民家が建てられており、5号堀の南東角が埋め立てられて、民家が建てられており、破壊されているのが非常に残念である。
T曲輪北側から南西にかけては鬼怒川の断崖絶壁に面しており、T曲輪・U曲輪は、北側を削り取られてかなりの部分を喪失している。
曲輪Z(外郭) 6号堀に囲まれた』型の曲輪である。
東側に大手門が置かれ、木橋が掛けられており、その塁線上に櫓台が置かれて、相横矢を構成している。
東側北部は復元されているが、南側は未整備状態で、南東側には民家が建っており、破壊も進んでいる。

東1櫓台

東1櫓台

東側空掘と
土塁

飛山城跡碑

大手虎口

東2櫓台

東2櫓台

大手脇土塁

東空掘と土塁

東空掘と土塁

東3櫓台

東空掘と土塁

東空掘と土塁

東空掘と土塁

東空掘と土塁

南東櫓台

南東側空掘
と土塁

南東側空掘
と土塁

南東側空掘
と土塁

南東側空掘
と土塁

南櫓台

南櫓台と
南西側空掘

南西側空掘
と土塁

南西側空掘
と土塁

6号掘西端

西側切岸

南西隅土塁

Z曲輪西端

Z曲輪西側

Z曲輪西側

Z曲輪南土塁

Z曲輪南東側
土塁

南櫓台

南東側土塁

南東側土塁

東南側土塁

東南側土塁

東側土塁

東3櫓台

東側土塁

Z曲輪東側

東2櫓台

東2櫓台から
南東側を望む

東側復元土塁

東側復元土塁

大手口

東1櫓台上

中城

中城
馬出 大手口から侵入した敵兵を、正面から狙う、蔀土居の役割も持っていた。
馬出の外壁に沿って進むと馬出側面に虎口が設けられており、敵兵はその間馬出からの横矢を受ける事になる。
馬出の虎口正面にたどり着くと、Y曲輪からの横矢を受ける構造になっている。

北東角

南東角

虎口(外)

虎口(内)

馬出より
大手を望む

曲輪Y
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