帝國博物学協会
駿河國
泉頭城
 所在地 静岡県駿東郡清水町伏見86
 交通機関 JR東海道新幹線 三島駅下車 沼津東海登山バス 下徳倉下車 徒歩15分
 別  名 -
 略  歴 泉頭城は、戸倉城三枚橋城と連携して駿河・伊豆の国境を守る城として築かれた。
永禄12(1569)年、北条氏は、城将として多目周防守・荒川精兵衛を入れ、甲斐の武田信玄に備えた。
天正8(1580)年、武田勝頼が、駿河への攻勢を強めたため、荒川豊前守・大藤長門守・多目権兵衛を入れた。
泉頭城は、柿田川を利用して、下流の戸倉城と連絡したが、翌天正9年に、戸倉城が武田軍に降伏すると、敵地に孤立したため、武田氏の家臣、安井治太夫らによって、周囲の村々を焼き払われている。
天正18(1590)年、豊臣秀吉の小田原も陣が始まると、兵力分散による各個撃破を恐れた北条氏は、兵を韮山城山中城に集結させるため、泉頭城は破壊されて廃城となった。
元和元(1615)年、徳川家康は、この地に隠居御殿を造営する事を命じたが、翌2年に家康本人が没したため、沙汰止みとなった。
 現  況 城は柿田川湧水公園付近であり、本丸は湧水公園駐車場付近である。
湧水公園の台地先端部が西曲輪となっており、切岸や土塁が残されている。
本丸南側の舟付曲輪も残されているようだが、今回訪城時は立入り禁止となっており、見学する事ができなかった。
堂ノ口出丸も、残されてはいるようだが、こちらも降り口がわからなかった。
北曲輪・東曲輪・第六天曲輪・南曲輪などは、既に破壊されているようであった。

柿田川湧水地

柿田川湧水地

一ノ洞と
堂ノ口出丸

西曲輪土塁

西曲輪土塁

西曲輪土塁

西曲輪切岸

西曲輪切岸

西曲輪切岸

西曲輪切岸

舟付曲輪

本丸跡

本丸跡

ニノ洞
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