帝國博物学協会
遠江國
掛川古城
 所在地 静岡県掛川市掛川1104
 交通機関 JR東海道新幹線・JR東海道本線 掛川駅下車 徒歩20分
 別  名 掛川城・天王山城
 略  歴 文明年(1469-87)間、駿河の今川義忠が遠州への侵攻拠点として、家臣朝比奈泰煕に築城させたとされている。
今川義忠は、応仁・文明の乱では東軍に属していたが、西軍である美濃斎藤氏の押さえを期待して遠州掛川郷を与えたと考えられる。
朝比奈氏は今川氏の重臣で、今川氏の先兵として掛川郷に送り込まれたと考えられる。
泰煕は天王山(子角山)を中心として広い範囲に築城し、これを掛川城と呼んだ。
朝比奈氏はこの掛川城を拠点として遠州攻略を進め、遠州の今川氏支配を磐石のものとしていった。
その後泰煕は、龍頭山に新たな城を築城し、永正10(1514)年には掛川新城が完成して本拠を移した。
大永2(1522)年、掛川城を訪れた連歌師の宗長は、手記に築城中であることを綴っている。
永禄11(1568)年、武田信玄の攻撃によって駿府の館を逃れた今川氏真は、重臣の朝比奈泰朝を頼って掛川に逃れてきた。
同年、徳川家康が遠州に侵攻し、掛川城に籠城した泰朝と氏真を攻撃するとなった。
翌12年、家康は掛川古城の天王山に猛攻を加えてこれを奪取し、掛川城攻略の本陣とした。
5月になると、今川氏真・朝比奈泰朝の両名は小田原城の北条氏を頼って落ちていった。
これによって掛川古城は完全に廃された。
明暦元(1655)年、掛川城主北条氏重によって、掛川古城本丸跡に徳川家光の霊牌が勧請されて霊廟大猷院殿霊廟が建てられた。
 現  況 掛川古城は、掛川城址の北西側に位置し、本丸跡には大猷院殿霊廟が置かれている。
本丸西側一段下がったところは、現在では龍華院本堂が置かれているが、ニ曲輪であったと考えられる。
本丸東側には土塁の跡が残されており、その東側には大堀切が良好に残されている。
その東側は、現在では公園であるが、往時は曲輪であった事がはっきりとわかる。
主郭西側

掛川古城遠望

西側切岸

天王山掛川城
跡龍華院案内板

龍華院本堂

二曲輪跡
(龍華院境内)

二曲輪跡
(龍華院境内)
主郭

一曲輪西側土塁

一曲輪跡

一曲輪跡

一曲輪虎口

東側土塁遠望

案内板

東側土塁

東側土塁

東側土塁上

東側虎口か

西側土塁
大堀切

東側大堀切

東側大堀切

大堀切

大堀切

大堀切
主郭東側

東側の曲輪

東側の曲輪

東側の曲輪

東側の曲輪先端
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