帝國博物学協会
駿河國
沼津城
 所在地 静岡県沼津市大手町ほか
 交通機関 JR東海道線・御殿場線 沼津駅下車 徒歩10分
 別  名 三枚橋城
 略  歴 今川義元が桶狭間合戦で敗死し、嫡男氏真が今川氏を継ぐと、甲斐武田・相模北条と結んだ三国同盟が効果を失い、武田信玄は長年の希望を実現すべく、駿河を侵攻した。
氏真は、駿府の今川館を捨て、家臣の守る掛川へ退去した。
信玄は、北条氏の戸倉城への備えとして、元亀元(1570)年、三枚橋城を築城し、高坂源五郎を城将とした。(一説には、天正5(1577)年、武田勝頼によって築かれたともいわれている。)
天正10(1582)年、武田勝頼が天目山で自刃し、武田氏が滅亡すると、三枚橋城は徳川家康の手に渡り、松平康親・康重が城主となった。
天正18(1590)年、小田原征伐により北条氏が廃されると、その後の関八州に家康が移され、駿府城には代わって中村一氏が入城し、三枚橋城には弟一栄が城代として入城した。
慶長5(1600)年、関ヶ原合戦で東軍が勝利すると、中村氏は伯耆米子城に転封し、三枚橋城には大久保忠佐が2万石を領して入封した。
慶長19(1614)年、忠佐の死によって、無嗣断絶で改易となり、三枚橋城は廃城となった。
安永6(1777)年、水野忠友が2万石で沼津に入封し、かつての三枚橋城跡に築城したのが、沼津城である。
その後、8代90年に渡って水野氏が治め、水野氏のもとで明治維新を迎える。
 現  況 城は本丸、帯郭、二の丸、三の丸、外曲輪などからなり、本丸には三重櫓、帯郭には二重櫓、二の丸には太鼓櫓などがあり城主の居館は二の丸に設けられていた。
現在では沼津市中心部が城であったこともあり、壊滅的に遺構は失われている。
中央公園の一角に「沼津城本丸址」の石碑が建てられており、大手町などに、ビル建設時に発掘された石垣の残石が展示されているにすぎない。

沼津城本丸跡碑

沼津城本丸跡
中央公園

三枚橋城石垣

喰違門跡付近

日頭門跡付近

城内神社

太鼓門跡付近

丸馬出門跡付近

搦手門跡付近
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