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| 所在地 | 静岡県駿東郡清水町下徳倉 |
| 交通機関 | JR東海道新幹線 三島駅下車 沼津東海登山バス 下徳倉下車 徒歩15分 | 別 名 | - |
| 略 歴 |
戸倉城の明確な築城年代は不明だが、北条氏綱が築いたといわれている。 氏綱は、駿河と伊豆の境目となるこの城を整備し、駿河の太守、今川氏に備えた。 この地方は、現在では駿東郡と呼ばれ、駿河の範囲とされているが、戦国期には韮山城の配下で伊豆国に含まれており、氏綱は北条氏光をこの城に入れた。 永禄11(1568)年、武田信玄が、三国同盟を破棄して、駿河に攻め入ったため、北条氏は武田氏との対立姿勢を深め、国境の戸倉城を整備し、城主として北条氏堯を入城させた。 永禄12(1569)年、掛川城を徳川家康によって攻略された今川氏真が、北条氏を頼り、戸倉城に移ったといわれている。 天正8(1580)年、武田勝頼は北条氏への攻勢を強めると、三枚橋城を拠点として、戸倉城への攻勢を強めた。 城将笠原新六朗は、武田軍の猛攻をよく退けたが、翌9年、北条氏から武田氏に転じて、城は武田氏の支城となった。 天正10(1582)年、天目山で武田氏が滅ぶと、戸倉城は再び北条方の支配下に置かれた。 天正18(1590)年、豊臣秀吉の小田原の陣が始まると、北条軍は各個撃破を恐れて兵を集約する。そのため戸倉城守備軍は、韮山城に集結して防戦にあたることとなった。 北条氏が滅亡すると、戸倉城はその使命を終えて廃城となった。 |
| 現 況 |
城は狩野側が大きく湾曲し、柿田川と合流する本城山に置かれていた。 山頂に本丸、東側の支尾根に東曲輪、西の尾根上に西曲輪置いており、常の館は本丸北側の鞍部に置かれていた。 現在は、本城山公園となっており山頂本丸に「戸倉城跡」の案内板が建てられている。 山頂本丸は、戦時中高射砲陣地が置かれていたため、城址としての遺構らしきものを見ることができない。 東曲輪・西曲輪には、本丸からの道らしきものが見当たらないため、今回は断念したが、八幡神社後方にも道らしきものが見えるので、西曲輪には、ここから登ることが可能かもしれない。 居館跡とされる場所には、龍泉寺が置かれている。この龍泉寺西側の道筋が大手道とされている。 この道は金比羅社などが置かれた数段の平場を経由して、本丸に至る道筋であり、複数ある登城路の中でも、一番城道としての雰囲気を残している。 |
![]() 戸倉城遠望 |
![]() 大手道 |
![]() 本城山公園 案内板 |
![]() 金比羅社平場 |
![]() 大手道 |
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![]() 本丸大手小口 |
![]() 戸倉城跡説明版 |
![]() 本丸跡 |
![]() 本丸跡 |
![]() 本丸跡と東腰郭 |
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![]() 本丸切岸 |
![]() 東腰郭 |
![]() 天狗岩 |
![]() 虎口状の平場 |
![]() 本丸下の平場 |
![]() 龍泉寺(居館跡) |
![]() 本丸・西曲輪 間の堀切 |
![]() 大堀跡 |
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