帝國博物学協会
播磨國
英賀城
 所在地 兵庫県姫路市葛磨区中浜町2 ほか
 交通機関 山陽電鉄 西葛磨駅下車 徒歩10分
 別  名 岩繋城
 略  歴 鎌倉期には既に砦が造られていたと伝わる。室町時代には、守護赤松氏の一族が入り居城した。
本格的に城として整備したのは、永享年間(1429〜1441)、赤松祐尚によると言われる。
嘉吉元(1441)年、嘉吉の変で赤松氏の勢力が衰え、城主赤松祐尚が没すると、姻戚関係にあった三木道近が城主として入城した。
その後代々三木氏が城主を務たが、天正5(1579)年、織田信長の播磨に及ぶと、三木城の別所長治に味方し、織田方の羽柴秀吉勢に攻められ、天正8(1580)年、遂に英賀城は落城した。
 現  況 英賀城は夢前川の河口に築かれており、東西を水尾川・夢前川に挟まれた要害の地に築かれた平城である。
城内には家臣の有力者が館を構え、また一向衆の拠点として英賀御坊が存在していた。
英賀城の城址碑は、住宅の中に一際高く聳え立っている。そういう意味ではわかりやすいのだが、位置的には非常にわかり難い場所にある。
城址は住宅化してほとんど遺構は残されていないが、わずかに英賀神社裏と英賀薬師裏にわずかに土塁が残されている。
英賀城では城の虎口を〜口と呼んでいた様で、それぞれの虎口跡には〜口跡の碑が立てられている。
この碑を探すには、清水公園の案内板を参照する事をお奨めする。

英賀神社裏土塁

英賀神社

英賀神社裏土塁

英賀神社裏土塁

英賀神社裏土塁

岡芝口跡

井上口跡

英賀薬師裏土塁

英賀城本丸跡碑

英賀城本丸跡

芝之口跡

英賀城主郭付近案内図
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