帝國博物学協会
播磨國
明石城
 所在地 兵庫県明石市大明石町(明石公園)
 交通機関 JR山陽本線 明石駅下車 徒歩5分
 別  名 喜春城・錦江城
 略  歴 元和3年(1617)年、姫路城から池田氏が転封すると、播磨は数家の大名料として分割された。
信州松本城からこの地に10万石で封じられたのが、譜代の小笠原忠政であった。
忠政は、はじめ船上城に入城したが、西国の抑えとして、幕府からの援助のもと、姫路の本多忠政の監督で築城された。
明石城は、伏見城・三木城・船上城などの廃材を使用して築城されたと言われている。
現在残る坤櫓は伏見城、巽櫓は船上城から移築されたと言われている。
寛永9(1632)年、忠真は豊前小倉城に転封となり、翌寛永10年替わって松平(戸田)庸直が信濃松本城より7万石で入封した。
寛永16(1639)年、2代光重の時に美濃加納城に転封となり、入れ替わりで大久保忠職が7万石で入封した。
大久保氏の治世は短く、10年後の慶安4(1649)年には肥前唐津城に転封となった。
替わって丹波篠山城から松平(藤井)忠国が7万石で入封した。
延宝7(1679)年、2代信之の時に大和郡山城に転封となり、入替わりで本多政利が入封したが、天和2(1682)年に陸奥岩瀬に減転した。
天和2(1682)年、越前大野城から松平(越前)直明が6万石で入封し、以後10代松平氏のもとで明治維新を迎えた。
 現  況 城址はJR明石駅の目前に広がっており、明石駅のホームから望む姿が一番美しいと言われている。
城址は明石城公園として整備されており、本丸にはには坤櫓と巽櫓が現存している。
阪神大震災では石垣に被害があったが、現在では綺麗に修復されており、両櫓間の土塀も再建され、美しさに磨きをかけている。
城は連郭式の舌状台地上の郭と、台地下の政庁であった三之丸に分けられる。
台地上の郭は、水濠の薬研堀と空掘の箱堀で台地から切り離されており、周囲を高石垣で固められており、その美しさは素晴らしいものである。
なお、城下町は宮本武蔵によって設計されたと言われている。
苦言を呈するとすれば、虎口を駐車場として使用するのは、是非やめてもらいたいものである。
三之丸

三之丸南東
隅石垣

三之丸水濠
(中掘)

太鼓門虎口

太鼓門虎口

太鼓門虎口石垣

太鼓門虎口

三之丸水濠
(中掘)

西門櫓台石垣

三之丸水濠
(中掘)

三之丸西門
虎口

三之丸西門
虎口

三之丸西側の
水濠

三之丸西側の
水濠

三之丸東門

三之丸東門
虎口

三之丸東側
水濠
帯 郭

本丸下の帯郭

帯郭

帯郭のお茶の水

追の門跡

帯郭石垣

台地上へ
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