帝國博物学協会
播磨國
本要寺本陣
 所在地 兵庫県三木市本町2
 交通機関 神戸電鉄粟生線 三木駅下車 徒歩10分
 別  名 -
 略  歴 本要寺本陣は、天正8(1580)年、羽柴秀吉の、三木城攻撃が城主別所長治の自害によって収束すると、秀吉は本陣を平井山から城際の本要寺の本堂に移し、戦後処理に当った。
本要寺は、三木合戦で戦火にみまわれたが、本堂だけは焼け残ったため、秀吉本陣が置かれ、ここで長治の首実検が行われた。
秀吉は、四散した城下の民を呼び戻すため、三木を免租地として制札を掲げた。それが、三木を金物の町として発展させる礎となったといわれている。
 現  況 本要寺本陣は、三木合戦後に本要寺本堂を徴用しておかれたものであるため、当然ながら城郭遺構は存在しない。
本要寺は、戦前は門前の県道までが境内であったが、県道に削り取られたため、本堂前の境内が異様なほど狭くなっている。

本要寺山門

本堂

案内板

本堂玄関

本要寺境内
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