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| 所在地 | 兵庫県加古川市加古川町木村 |
| 交通機関 | JR山陽本線 加古川駅下車 姫新バス木村下車 徒歩5分 |
| 別 名 | - |
| 略 歴 |
暦応2(1339)年8月30日、大井三樹伊予守宰任従五位左京亮が、雁南荘地頭職を給わって築いた城と言われている。 次宰の五男雁南右衛門四郎勇は主馬助と称し、永和元(1379)年5月5日、家督を継いで石弾城主となると、従六位に任じられ、赤松氏に従った。 亨徳3(1454)年、勇の長男、雁南行部太郎長が家督を継ぐと、長は、木村源五郎と称して石弾城主となった。 嘉吉元(1441)年、嘉吉の乱で将軍義教を刺した赤松満祐が滅んだ後、播磨は山名宗全の支配下に置かれた。 康正元(1455)年4月、赤松則尚が勢力奪回のために三千余騎を連れて挙兵した。 この戦いで、赤松方として参陣した勇は討死したといわれており、主将の則尚は備前鹿久居島で自害した。 長禄元(1457)年、山名宗全は赤松氏に味方した、播磨の諸城の攻略を開始し、3月、源五郎の守る石弾城も攻撃を受け落城した。 |
| 現 況 |
石弾城跡は、宮本武蔵の甥で養子の宮本伊織が再建した、泊神社の境内となっている。 城址には遺構は残されておらず、石弾城址標柱と案内板が立っているのみである。 |
![]() 泊神社門 |
![]() 泊神社玉垣 |
![]() 泊神社拝殿 |
![]() 泊神社境内 |
![]() 城址標柱と 案内板 |
![]() 城址標柱 |
![]() 城址案内板 |
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