帝國博物学協会
播磨國
室山城
 所在地 兵庫県たつの市御津町室津
 交通機関 山陽電鉄 網干駅下車 神姫バス室津下車 徒歩20分
 別  名 室津城
 略  歴 この城の築城については、いつの頃なのかわかってはいないが、寿永2(1183)年、源行家が平家追討の為に播磨に入った時、平教盛・重衡が室山に陣を張り、行家の軍勢を撃破してることから、既にその頃から簡単な陣城が存在していたのかもしれない。
建武2(1335)年、後醍醐天皇に叛旗を翻して戦いに敗れた足利尊氏が九州に逃れる際、追手の新田義貞の軍勢を食い止めるために、尊氏方の赤松円心が、長男の範資を室山城に入れた事により知られる。
しかしながら、範資はこの城を支えきれず、義貞の軍勢により落城しているが、円心勢が支える間に尊氏軍が態勢を整え東上したため、義貞軍は撤退し、円心により再奪還し、尊氏をこの室津で向かえている。
嘉吉元(1441)年、嘉吉の乱で将軍足利義教を殺した赤松満祐が滅ぶと、播磨は山名宗全の支配下に入った。宗全は子、政豊を室山城に入城させ守備を命じた。
康正元(1455)年、赤松則尚が勢力奪回のため挙兵し、室山城に攻め寄せているが、政豊は但馬からの援軍を得て、この城を守り通している。
応仁の乱が勃発すると、加賀の守護であった赤松政則は、播磨・備前・美作の旧領を山名氏から奪回し、置塩城に入城、室山城には浦上則宗を入れて守らせた。
政則の死後、則宗の孫村宗は政則の子の義村と対立し、義村を室津の見性寺に幽閉して後、大永元(1521)年、義村を襲って殺害、赤松氏の勢力の半分を手に入れている。
置塩赤松氏が没落すると、龍野の赤松村秀・政秀が代わって勢力を伸張させ浦上氏と対立するようになる。
永禄9(1566)年、浦上政宗は赤松氏の勢力を挟撃すべく、姫路城主黒田職隆の娘を子息清宗の嫁として迎えた。赤松政秀は、その婚礼の虚を衝いて室山城を襲い、政宗・清宗を討ち滅ぼした。
その後、室山城は廃城となった。
 現  況 室山城本丸跡は室津漁港背後の山の頂上に存在しており、一段低い山のの頂上に二之丸が存在している。
二之丸跡は上下二段となっており、下段が二ノ丸公園として整備されている。
本丸・二之丸上段には、土塁などの遺構は残されていない。
本丸・二之丸の間の道路は、堀切の跡であることは、想像に難くない。
本丸に登る道の途中に城址碑が存在している。また、道路から下を望むと、段々に平場が存在しており、もしかしたら腰郭などが存在したのかもしれない。

室津二ノ丸公園
標柱

室津城二之丸
上段切岸

室津二ノ丸公園

室津城二之丸

室津城二之丸

室津城址碑

本丸方面

本丸跡

本丸跡

本丸跡への
登城路

堀切道

道路下の平場

室山城本丸遠望
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