帝國博物学協会
播磨國
利神城
 所在地 兵庫県佐用郡佐用町平福
 交通機関 智頭鉄道線 平福駅下車 徒歩50分
 別  名 雲突城
 略  歴 貞和5(1349)年、別所肥前守敦範が白旗城北側の防備のために築城したといわれている。
その後は、別所氏が代々城主であったが、天正6(1578)年、織田信長の勢力が伸張してくると、上月城に拠った山中鹿之助に攻められ、落城している。
その後、平福の地は宇喜多氏の配下になったが、美作・因幡に通じる要衝であったため、家老の服部勘介が居城している。
関ヶ原の合戦後、姫路に池田輝政が入城すると、利神城には2万3千石で甥の池田出羽守由之を入れた。
由之はこの城を大改修し、現在見られる総石垣造りの城とし、その頂きに3層の天守を築いた。
しかしながら、利神城のあまりの壮麗さに幕府を慮った輝政によって破却を命じれられた言われている。
その後、池田長政・輝興が入城し、輝興の時赤穂城に転封になり、廃城となった。
なお、その後平福は、旗本松井松平氏の領地となり、陣屋が置かれている。
 現  況 城址は平福の町の東側に忽然と聳え立つ利神山の山頂にある。
別名の雲突城の名が示すように、天空の城という表現がピッタリである。
城址には、大手・搦手の2つの登城道がある。大手道は平福の町からの登城路であるが、搦手道は途中まで車で登る事が可能である。
今回は、時間もなかったので、搦手道から途中まで車で登ったが、そこからの登城路は、道ではなく、崖地を直登しているようなもので、転がり落ちないのが不思議なぐらいである。
最高所の天守丸から眺望は最高であるが、城の石垣はいつ崩落してもおかしくないような状況で、そここに危険を示す看板が建っている。
また、三之丸付近では、最近滑落したと思われる石垣の崩落跡を見る事ができる。
町で修復できないのであれば、国の指定史跡として、国の力で貴重な遺跡を残して欲しいものである。

鵜の丸
搦手方面石垣

鵜の丸
搦手方面石垣

鵜の丸虎口

鵜の丸虎口

天守丸石垣

本丸虎口

本丸虎口

鵜の丸虎口

本丸

本丸突端の石積

天守丸石垣

本丸石垣

天守丸利神城
城址標柱

天守丸

天守丸から
本丸を望む

本丸石垣

天守丸石垣

鵜の丸石垣

大阪丸から
天守丸を望む

大阪丸から
三之丸を望む

南東側尾根
(大阪丸方面)

南西側尾根
(二之丸方面)

利神城遠望
Top