帝國博物学協会
播磨國
坂越浦城
 所在地 兵庫県赤穂市坂越
 交通機関 JR赤穂線 坂越駅下車 神姫バス 坂越港下車 徒歩10分
 別  名 坂越城・坂越浦砦
 略  歴 但馬の山名宗全が、嘉吉の乱で滅んだ赤松氏に変わって播磨を支配した、享徳年間(1452〜55)に築いたといわれている。
赤松氏は、その後旧臣の石見雅助、間島雅元、中村太郎四郎らが、南朝方に奪われていたの三種の神器を取り返した功により、加賀の守護として復興した。
応仁元(1467)年に勃発した応仁の乱では、播磨の守護山名宗全が西軍の総大将に、加賀守護の赤松政則は東軍に加わった。
政則はこれを機会に旧領の播磨・美作・備前を回復し、置塩城を本拠に定めた。
政則には、置塩城の義村、鶏籠山城(龍野城)の村秀の2人の子供があった。坂越浦城はこの村秀によって、対立する祖父則定が那波城に拠って那波港を支配するのに対抗してこの城を築いた。
江戸時代には、赤穂藩の御番所が置かれ、坂越浦に出入りする船の監視をしていた。
 現  況 坂越浦城址は現在は公園となっている。
公園の入口にある、木でできた「坂越浦城跡」の標柱と案内板が、ここに城であったことを伝えているにすぎない。

坂越浦城址

標柱

坂越浦城址と
茶臼山城(背後)

城址からの眺望

小倉御前の墓

坂越港木戸跡

坂越会所
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