帝國博物学協会
播磨國
龍野城
 所在地 兵庫県たつの市龍野町上霞城
 交通機関 JR姫新線 本龍野駅下車 徒歩20分
 別  名 霞城
 略  歴 現在の龍野城が築城されたのは、寛文12(1672)年、信濃飯田から脇坂安政が5万1千石で入封した後である。
従来あった龍野城は、現在の龍野城の裏山の鶏籠山上にあり、鶏籠山城とも呼ばれていた山城であったが、最後の城主京極高知が、讃岐丸亀城に転封となった時に、幕府の許可を得て破却してしまった。
脇坂氏が転封してきた頃は、既に戦国の気風も失われた泰平の世であった事から、嘗ての城の根小屋部分のみを再建して、現在の城を築城した。
その後転封も無く、脇坂氏10代がこの城を居城とし、明治維新を向かえている。
 現  況 城址は鶏籠山を背にした麓の根小屋地区に存在する。
本丸部分には、石垣が残っており、武具櫓・埋門・御殿・裏門が再建されている。
また、城址西側の櫓は、往時の図面には無く、模擬櫓の域を出ないが、写真に収めるには非常に良い位置に作ったと感心させられる。

東門口

東側石塁

如来寺土塀

正面

龍野城址碑

埋門

埋門東側の石垣

武具櫓

埋門桝形

本丸御殿

本丸御殿

裏門(閉門時)

裏門

模擬隅櫓

西側の石垣

模擬櫓と鶏籠山

裏門付近の土塀

裏門付近の土塀
石垣

模擬隅櫓

埋門(開門時)

桝形
脇坂氏上屋敷
脇坂氏上屋敷は、1800年代になって築かれた、龍野藩主脇坂氏の別邸である。
聚遠亭別館は、御涼所とも呼ばれ、上屋敷の中心に当たる建物として建てられ、脇坂氏の奥向(側室とその家族)の住まいであったと伝えられている。
聚遠亭茶室は、京都守護代であった龍野藩主脇坂安宅が、安政年間(1854〜1859)に炎上した御所の復興に功績があったとして、孝明天皇から賜り、この地に移築したものである。

上屋敷石垣

上屋敷石垣

上屋敷入口階段

上屋敷石垣

上屋敷石垣

聚遠亭別館

脇坂氏上屋敷址

聚遠亭茶室

聚遠亭茶室

上屋敷

家老屋敷門
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